部屋の壁に子どもが絶賛落書き中!でも、とっさに対応できない…多胎児の母ならでは「子育てあるある」

全部3つ 三つ子の子育て体験記

山本 美和 山本 美和

家の壁には、ちょうど床から80cmぐらいの位置に落書きがある。落書きというか、ただの線だ。色とりどりの色鉛筆やクレヨンで、何本も描かれている。アート作品とも呼べない、今となっては色のついた汚れだ。でも、消さないで未だに残してある。

これが描かれたのは、三つ子で生まれた子どもたちが2歳のころだった。その時のことは、いまでもよく覚えている。なぜなら、この落書きは「私のいまのやり方だと、数で負けるかも」と実感した事柄だったからだ。

2歳になって、保育園に通い始めた頃から子どもたちは自分の意志を持って行動し始めた。「お絵かきして遊びたい」とか「お人形で遊びたい」とか、それぞれの主張が始まったのだ。読んでほしい本も3人がそれぞれ違うため、絵本を3冊まとめて音読しなければならなくなったのも、この頃からだった。

白い壁に描かれた落書きは、子どもたちが画用紙にお絵かきをしている間に掃除をしようと目を離した瞬間の出来事だった。床の拭き掃除をしていて、ふと視線を子どもたちに戻すと、3人は私の方を見ながら笑いながら、なにか言葉を発しながら、躊躇なく壁に線を書きなぐっていた。「イヤー、ヤメテー」と思わず声を上げると、それを聞いた3人は楽しそうに、更に盛大に線を描きなぐってきた。

こんな時、相手が3人いるととっさに色鉛筆を取り上げるという動作ができないのだ。そして、いたずらっ子のように私が慌てている様子を見て楽しそうに笑う3人が可愛らしくも、愛おしくも感じられ、叱ることはできない。「ヤメテー」と声を上げている私も同じようにニヤニヤ笑っていたと思う。

 

この一件があってから、「意思を持って行動し始めた子どもたちを統率して母の予定通りに行動させるにはどうすればいいのか」というのが私の大きな課題となった。育児書にも「子どもたちを統率するには」という項目はないし、そもそも相手が一人だと「統率」の必要もない。

結果、私のたどり着いた答えは「保育園の先生のように」だった。保育園で見かける子どもたちの真剣な眼差し。先生が発する言葉や行動を見逃さないようにと一生懸命集中している様子に、先生が羨ましくてたまらなくなった。それから、あこがれの先生のようになるべく、先生の一挙手一投足を注意深く観察するようになった。

少し高いトーンで、やさしく、ゆっくり発音する。言葉は子どもたちが理解できる簡単な言葉を選ぶ。次にどうするのかを理解できるように説明する。そして、楽しそうに、大きくリアクションして促したい行動へ誘導する。

これは、結構うまく行ったと思う。朝の支度、食事、お風呂、就寝…。3人まとまって行動してほしいときにスムーズに事が運ぶと、心のなかでガッツポーズが出た。

子どもが3人の場合、ひとりの親の力で思うように動かすには限界がある。それなら、気分良く動いてもらうほうがいい。

しかし、子どもたちは日々成長してくので、同じ手はいつまでも使えなかった。半年もすると「ママ、何やってんの?」という冷ややかな眼差しを向けられるようになり、先生ごっこはやめてしまった。その頃には、「壁に落書きしてはだめ」ということも理解できるようになっていた。

顔つきも赤ちゃんの顔から少しずつお兄ちゃん、お姉ちゃんになっていく。態度も言葉にも成長が感じられる。ホッとする気持ちもあるが、「私の」赤ちゃんじゃなくなることに寂しさを感じる。母として複雑なきもちになる時期でもあったような気がする。

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