この後オリックス戦の審判から約3カ月間外れることになった。しかし最終的に気持ちが切れてしまったのはプロ野球の審判になった時からずっとお世話になっていた仲野和男パ・リーグ統括の死であった。リプレー問題の時にNPBを代表して謝罪したのは仲野統括。当日、楽天戦で仙台にいた坂井さんは運命だったのか、この試合でも一つの判定を巡りもめていた。試合後、問題が起きた場合、状況などを説明するために仲野統括に連絡するのだが、仲野統括にかけた電話に出たのは娘さんだった。その時に訃報を知った。
原因が心筋梗塞と聞いた時、自身も心筋炎になり生死を彷徨った経験が蘇った。この時ギリギリつながっていた紐がブチンとちぎれた。「ストレスが原因ではないのか」「あの判定が仲野さんの命を奪ったのではないか」-今でもどこか十字架を背負っているほどの責任を抱えているようにも見えた。
野球界から去った坂井さんは新たな仕事を探すために人生初の就職活動を始めた。「野球しか知らなかった」という坂井さんにとっては転職先を見つけるのは楽しかったそうだ。保険業、小売業、TV局、芸能事務所…いろんな人に会い、話を聞いた。全てが新鮮な話ばかりで楽しかった。しかし心の底からワクワクすることはなかった。1年間は社会を知るために時間をかけると決めていた坂井さんであったが、ふとあの日のことを思い出した。