元G戦士、喫茶店のマスターに転身 一時は借金苦も…「球界裏話」がウケて人気店に

あの人~ネクストステージ

吉見 健明 吉見 健明

 プロ野球の巨人、広島、ヤクルトで”名脇役”として活躍した萩原康弘さん(72)は引退後、喫茶店のマスターに転身。東京・目白で「CAFEHAGI」を営み、昭和から平成の荒波を乗り越えてきた。令和元年からは人脈を生かし、毎週水曜日に「野球談義」を開催。“文春砲”顔負けの裏話が聞けると評判だ。

 JR目白駅から横断歩道を渡り、線路沿いに池袋方面へ徒歩2分。すると“野球好き”「CAFEHAGI」の小さな看板がみえる。周囲は秋篠宮殿下のデートコースだったことでも知られる場所だ。

 ビルの3階。ドアを開けるとゴルフ焼けして茶色のエプロンをしたマスターの萩原康弘さんが迎えてくれた。4人掛けのテーブル3台。カウンター5人のこじんまりした店で1人で奮闘している。壁には巨人V6からV9までのペナントが飾られていた。

 萩原さんは巨人で活躍後に広島の連覇にも貢献。1983年にヤクルトを引退し、2年後に学習院大の裏で喫茶店を始めた。5年後、後援者の協力を得て、この目白のビルへ。ユニホーム姿からエプロン生活になって35年。その間には前妻に先立たれり、バブルの破壊などピンチの連続だった。

 「借金だらけ。甘くはなかった。みなさまのバックアップで踏ん張ることができました」

 苦労を笑顔に変えて乗り越えられたのは言うまでもなく人柄だろう。荏原高、中央大の後輩で元ヤクルト球団幹部の吉川登さんは「人が羨む超スラッガーでありながら親しまれる人間性」と話す。もちろん、再婚した夫人の後押しも力も大きかった。

 令和元年になってからは、かつて麻雀仲間でもあった選手たちが続々と応援に駆けつけてきた。巨人時代に仲の良かった堀内恒夫をはじめ、徳武定祐、簑田浩二、松永浩美といった顔ぶれ。毎週水曜日18時から“野球談義”と題してのイベントが始まった。常連客を含め、毎週20人ほどが集まり大盛況。ときには“文春砲”顔負けの球界裏話が披露されるという。

 例えば、萩原がバッティング理論で尊敬していた広島時代の山本一義について。「野球の話をしていたら朝までかかる。熱い人でした。麻雀以外での徹夜は山本さんが初めて」

 ミスター赤ヘル、山本浩二は体調を崩して入退院を繰り返しているそうで「元気になったら麻雀しょう!」と約束していると言う。

 「浩二さんにはお世話になった。早く元気になって欲しいです」

 萩原さんは現役時代に随所でインパクトの強い働きをしている。例えば、広島に移籍後の1980(昭和55年)、優勝を決めた日の試合で阪神のエース小林繁から逆転満塁弾を放った。1973年(昭和48年)、勝った方が優勝という阪神|巨人最終戦には実は「1番・左翼」でスタメン出場し、9-0の大勝に貢献した。

 これには伏線があり、前夜の中日戦(ナゴヤ)で阪神は中日に強い上田二朗ではなく江夏豊を先発に送った。有名な話で巨人が東京から新神戸に移動する途中、新幹線からナゴヤ球場のスコアボードのメンバーが見えた!というのである。

 となると翌日、甲子園での先発は上田二朗。この時点で川上監督は萩原に「明日いくぞ!」と伝えたという。高田、柴田勲、末次という不動の外野陣の中、最終戦だけ、萩原が先発メンバーに入ったのである。

 「その前の10月の阪神戦で上田から逆転3ランホーマーを打って、一度は阪神の息の根を止めていたから川上さんが早めに私に先発で行く、といってくれた。覚えていますよ」

 それまで温和な表情だったが、この話をする萩原さんの目は一瞬、勝負師のそれだった。

 野球談義は毎週水曜日18時からで会費2000円。持ち込みドリンクOK。過去の実績ある選手の、深い話が聞けて楽しめる。ランチのセットメニューはドリンク付きで1000円。ドリンクは全て500円だとか。

 「野球談義は赤字覚悟です。野球界の発展に少しでも役立てれば」

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