元ラグビー日本代表の大八木淳史さん(58)は現在、関西の名だたる企業の「参謀役」として忙しい毎日を送っている。MK西日本グループ(京都市、タクシー)顧問、関西オートメイション(大阪市、精密機械)常務取締役、山﨑砂利商店(大津市、砕石・砕砂製造)広報・スポーツ事業担当…数社の名刺を鞄に忍ばせている。なぜいま企業から引っ張りだこなのか。
顧問を務めている丸貴管鋼(大阪市、商社)の村山嘉男社長は「3年前に来てもらったが真面目で行動力がある。何より彼の人脈で神戸製鋼をはじめ取引先が増えたことがメリット」と話す。
ビジネスマンへと華麗なる転身を遂げるきっかけは、37歳まで続けたラグビーを引退した後だった。テレビ出演や講演依頼など仕事は引く手あまただったが、どこか虚無を感じていた。「何が希薄だったかというと学問をきっちり学んでいなかった」。ラグビーを通じて学んだことを伝えたいが、自分には伝える言語力や表現力が足りないと感じたのだ。
一念発起し、43歳で同志社大の大学院へ。そして修士取得後すぐにお声がかかる。香川大客員教授など17年まで教育現場で尽力した。そんな活躍が認められて、14日には文部科学省から社会教育功労者として表彰を受ける。
ラグビー→教育→企業の参謀役へ。「必要とされるところで活躍することが大事」と言う。人との縁を大事にする大八木さんらしい生き方である。
もちろんラグビー界のことは常に頭にある。「日本代表のレベルは上がった。にわかファンは全日本が強くてファンになられた。その流れでトップリーグの観客動員数も増えた。それをどう維持していくかが、代表OB、ラグビーを愛する者としても課題やと思います。代表が強くなればそれだけファンもつく、可能な限り強さを維持してほしい」と熱く語る。そのうえで「ラグビーがプロ化してしまうと…今までバックアップしている企業のことなどを考えると、しんどくなると思う。今のままで日本代表をどう強化していくか、について取り組んだ方がいい」とトップリーグのプロ化案には慎重な姿勢だった。
◆大八木敦史(おおやぎ・あつし) W杯は87年の第1回大会と91年大会に出場。豪快なキャラクターで人気を集めた。学園ドラマ「スクール☆ウォーズ」(TBS系)の舞台になった伏見工(現・京都工学院高)でラグビーを始め、同志社大で82~84年度全国大学選手権3連覇。在学中にはニュージーランドの名門カンタベリー大にラグビー留学した。神戸製鋼では88~94年度日本選手権7連覇。97年に現役を引退後は講演やタレント活動とともに競技の普及に努めている。