「働き方改革」の中、大手コンビニが一部店舗で元日を休みにするというニュースがありました。これだけ人手不足も節電も言われるご時世、私も閉める店舗があっていいと思います。そもそも私たちは便利に慣れ過ぎてしまっているのではないでしょうか。
セブン‐イレブンが登場した当時は「朝7時から夜11時まで開いている」のがコンセプトだったと思います。それが24時間営業になり、お客もそれが当たり前になり…今や「コンビニが近い、〇軒ある」は「駅近」と並んで賃貸物件を探す条件になっている。私が若い頃は、マンションを借りるのに「1階がコンビニの物件はやめておけ」とよく言われたものでした。「早朝に入荷のトラックが来るから寝ていられない」という理由だったんですよ。
お正月だって、かつてはどこも休みで、おせち料理を食べながら2日のデパートの初売りを楽しみに待っていたものでした。でも今はどこでも2日、早い店なら元日から営業しています。そうなると「おせちって必要?」となり、長持ちさせるため濃い味付けだったのも健康志向で薄味になり、美味しい半面「おせちらしさ」は少なくなってきたような。お正月に備えて年末に数日分の食品を買い込む必要など全くなくなりましたもの。
普段でも最近の若い人たちはスーパーに行かず少しくらいお高くてもコンビニで全て事足りると言います。確かにコンビニの商品は“個食”に対応しているし、すぐに買いに行けるから冷蔵庫もほとんど空っぽ。昔は、例えば雨が降ると市場に買い物に行けないから、軒先に吊るしてあるジャガイモと玉ねぎでコロッケにしようか…なんて考えていたものです。
もちろん不便な時代が良いというわけではありません。ただ、多少不便な方が「物のありがたみ」が分かるような気がするのです。「あ、無い」ではなく「無くなりそうだから買っておこう」と備えることもできる。あまり便利に慣れてしまうと、“備え”という考えがサビつくように思うのです。これは、天災に対しても同じ事だと思います。
かつて純喫茶はカフェやコーヒーショップに淘汰され、今やカフェもコンビニに淘汰されかけています。コンビニのコーヒーは美味しくて安くて、フードコーナーまである。ただ、喫茶店で飲むコーヒーは「私こんなの飲めるようになったんだ」という気持ちの余裕や、ゆっくり考え事ができる良さもある。
コンビニが、生活を便利にしてくれるためにいっぱい頑張ってくれるのはとてもありがたいのですが、もし疲弊しているのなら、「そんなに頑張りすぎなくても良いですよ」と言いたい私です。