神奈川県藤沢市に暮らす朧(おぼろ)くんは、右前足の先がありません。出産に慣れていない母犬が、へその緒と間違えて“カプッ”としてしまうことがあるそうです。かわいそう? いえいえ。朧くんはお散歩が大好きだし、ドッグランに行けば元気に走ります。すれ違う女子高生たちからは「スキップしてるみたい。かわいい!」と黄色い声援?が飛ぶことも。前足のことを「障害」ではなく「魅力」として受け入れてくれた、やさしい家族と出会えたからです。
朧くんが生まれたのは、広島県神石高原町にあるピースワンコ・ジャパンの施設でした。お母さんのお腹の中にいるとき、動物愛護センターから引き取られたのだそうです。赤ちゃんのときから多くの人の手に触れられ、離乳食ももらっていた朧くんは、とても人懐っこい性格。いつ里親さんが見つかってもおかしくないと思われていました。
でも、当時の施設には朧くんと同じくらいの月齢の子がたくさんいて、里親希望者はどうしても健康な子に目が行きがちです。「このままでは埋もれてしまう」。そう案じたスタッフの一人が、関東の譲渡センターに移動させることを提案しました。頭数の少ない譲渡センターなら、朧くんの良さを分かってくれる家族に出会えるに違いないと考えたからです。朧くんは生後8カ月で藤沢市にある「湘南譲渡センター」にお引っ越し。運命の出会いを待ちました。
宮崎耕一さん・佳代子さん夫妻と娘の可奈子さんが初めてセンターを訪れたのは、2017年12月のこと。5月に14歳で亡くなった先代・寅次郎君の遺品整理を終え、まだ使えそうなものを寄付するためでした。
「新しい子を迎えるつもりはなかったんですけど、見ているうちに心が動いて…」と佳代子さん。耕一さんは「また飼うことがあるなら保護犬をと、自然とそう思っていました」と話します。
3人がそろって目を留めたのが朧くんでした。センターのスタッフさんにもボランティアさんたちにも大人気の愛らしい犬、それが朧くんの第一印象でした。
「寅次郎はあまり人に懐かない子だったんです。対照的に朧はとても人懐っこくて、この子と一緒にいたら毎日楽しいだろうなって思いました」(佳代子さん)
足のことは気にならなかったのでしょうか。
「ウイークポイントではなくチャームポイントだと思えたんです。何度か一緒にお散歩をさせてもらったんですけど、足以外は健康そのものだし、かわいそうとか、そういう印象は全くなかったですね。ハンディをハンディと感じさせませんでした」(可奈子さん)
それでも何度も家族会議を繰り返し、朧くんを正式に家族として迎えることを決めたのは翌年の2月。センターから卒業する日には、たくさんのボランティアさんがお別れに来てくれたと言いますから、いかに人気者だったかが分かります。
宮崎家の一員となった朧くんは“セラピードッグ”の役割も果たしています。寅次郎君を亡くし、大きな喪失感に襲われていた佳代子さんですが、心の穴を埋めてくれたのは朧くんでした。今年1月に乳がんの手術をしたときも、患部に頭をこすりつけるようにしながら、ずっと寄り添ってくれたそうです。さらに、同居している耕一さんと佳代子さん、両方のお母さんも「朧がいることで癒されている」と感じている可奈子さん。その可奈子さんは、「この子のために頑張ろう!」と思った途端に仕事が決まったそうです。
朝夕のお散歩は1時間半ずつ。仕事をリタイアした耕一さんの日課です。
「ご近所で、朧を中心に“犬コミュニティ”ができたんですよ。一緒に散歩したり、ハロウィンに近くの公園に集まったり。もともと近所付き合いが希薄な地域なんですけど、社交的でどんな犬とでも仲良くなれる朧のおかげで、世界が広がっています」
話すきっかけで多いのは朧くんの足のこと。外ではばい菌が入らないように右前足だけ靴を履いていますし、歩き方を見れば「あれ?」と思って当然でしょう。でも、そこから会話が弾み、笑顔の輪が広がるのですから、やはり朧くんの足は「障害」ではなく、「チャームポイント」なのです。