そんなワークショップの最中、義足を外した大前さんの足を見た小学1年の男の子が「なんか、ブタみたいやなあ」と発言。凍り付く大人たちをよそに、大前さんは「そっか~、ブタみたいかぁ」と笑い、何事も無かったかのようにレッスンを続けました。
「僕の足は義足を付けるため中心がへこんでいるから、そんな風に見えたかもしれないですね(笑)言われたことも忘れてました」と大前さん。受け流した理由を「その言葉を取り上げて使わないように叱る“言葉狩り”みたいなことはしたくない。そもそも、大人と違って何の偏見もなく、義足を見たこともない子どもが、切断した足や義足を奇妙に感じたり、『なんで足が無いんだろう』と思ったりするのは、すごく当たり前のこと」と話します。
「だけど、家族や身近なところに義足の人がいたら、義足や足を『変』とは感じないでしょう?むしろ『当たり前』になる。だから、僕は外に出て『自然なこと』になるように、子どもたちとの接触頻度を上げる。それが僕の仕事だと思ってるんです」
「とはいえ、言葉を言われたのが義足になりたてで毎日どん底だった“大前青年”だったら…こうは思えなかったかな。例えば子ども同士、学校などでそれを言われ続けると大きな傷になるかもしれない」と大前さん。一方で「めちゃくちゃ仲が良い相手なら何でもアリ。障害者の友達とは、お互いの障害すらもネタにしてますもん」とも。
そして、こう話してくれました。
「『言葉そのもの』ではなく、大切なのはその言葉がどういう関係性で、どういう気持ちで、どういう文脈で使われたか。『なんで足が無いの?』とかもしょっちゅう聞かれますが、僕は子ども相手に怒ったり傷付いたりはしないですし、きっと僕と仲良くなった気がして普通は言えないことも言ってしまったのかも。大切なのは『その人を深く理解すること』。その上でなら一見失礼な言葉に見えても、受け取り方は全然違いますから」