「母の、父への当たりも強くなったように感じてはいました。でも、じゃあ日頃実家で父の面倒を見られるのかと言われればそれも難しかった」とバスマンさん。今年に入り、父は介護施設に通うようになり、色々な人に会って刺激を受けたのか薬の効果か、夏頃には「ここ数年で一番明るい父だった」と言います。ところが、先月ごろ施設で転倒したり脳梗塞が見つかったりして急に容体が悪化し、帰らぬ人になってしまいました。
バスマンさんは連絡を受け実家に戻りましたが「冷たいようですが、人間はいつか死ぬし、順番的にも親は先に亡くなる。それほど悲しい思いは持っていなかったし、実際に父の遺体を見てもそれだけで涙があふれてくるという事はありませんでした」と振り返ります。ただ、その晩遺体を施設に預け実家に帰宅し、「せっかくだから親父の部屋で寝るか」と入った部屋でこのノートを見つけ、中身を読み、父が自分なりに記憶がなくなることを少しでも引き留めようと奮闘していることを知りました。
ノートの日付は半年ぐらい飛んでいるところもあり、父がいつこれを書いたのかは定かではないそうです。それでも、温厚で、酒におぼれることもなく、子どもに手を上げることもなかった父が、何とか家族に迷惑をかけまいとする必死の思いが、そこにありました。
「『死』が悲しいのではなく、『生の痕跡』こそがこんなにも悲しいのかと気付かされました」とバスマンさん。亡くなる少し前に見舞いに行ったとき、3カ月ぶりぐらいだったのに自分のことを覚えてくれていた父。涙が自然とあふれ、「ノートの脇にあったティッシュの箱を見ても『今出てるティッシュの1枚前はきっと親父が引いたのだろうな』と思いがこみ上げ、その晩はほとんど寝られませんでした」といいます。
国の推計では、2025年には65歳以上の5人に1人が認知症になるとされています。今も、バスマンさんの元には認知症の家族がいる人から「もっと優しく接すれば良かった」という声や医療・介護関係者から「参考になりました」といったコメントが寄せられています。感謝の言葉は若い世代や普段接する機会のない分野の人からも届き「50代半ばでリタイアし、趣味の友達も多くなかった父は葬儀も家族葬でしたが、20万人以上の方から反応を頂き、きっと親父も喜んでいるはず」とバスマンさん。
認知症は、確かに多くの記憶を失ってしまいます。それは家族にとっても、苦しく、辛いことです。それでも「何も分からなくなる」のではありません。だからこそ―。「親父の遺した、たった数十文字程度のメモが、微力ではありますが、認知症のご本人や大変な介護の生活を送られている方への何かのきっかけになればありがたいと、祈っています」