推定17歳のチビコちゃんは、その“猫生”の大半を外猫として過ごしてきました。生まれは兵庫・明石の藤江海岸辺り。母猫と兄弟猫と一緒に広い砂浜と田んぼや空き地を自由に歩き回り、雨風は空き家でしのぐ。近所の人たちにかわいがられて、ごはんももらえる。“地域猫”とう言葉が今ほど知られていない時代から、チビコちゃん(当時はチビちゃん)は何不自由なく暮らしていました。
そんなチビちゃんを木村京子さん(仮名)が最初に見たのは2002年5月のこと。当時、住んでいたマンションのエントランスにも入って来ていて、優しい管理人さんが用意してくれた専用ベッドで寝ていることもありました。
「お世話をしていた地域のおじさんに聞くと、ちゃんと避妊手術をしてもらっていたし、食べるものにも不自由していない。親子3匹で暮らしているから“縄張り”もあったのでしょう。危険な目に遭うこともなく、チビちゃんにとってはまさに“楽園”のような場所だったと思います」(木村さん)
04年に引っ越した後も、実家に帰れば元気なチビちゃんたちを見ることができました。ところが07年以降、ぱったり会わなくなってしまいます。そして、15年冬に明石へ戻ってきたとき、チビちゃんたちの“楽園”は、その姿をすっかり変えていました。空き地だった場所には住宅が建ち並び、田んぼは駐車場に。「あの子たちはどうしただろう?」そう思っていた木村さんの目の前に、1匹の猫が現れました。チビちゃんです! 母猫と兄弟猫は亡くなっていたそうですが、チビちゃんは変わらず地元の人にかわいがられ、肉付きも良く元気そうにしていました。
「空きアパートが残っていて、そこでおじさんがごはんをあげていたようです。17年くらいまでは丸々していたんですけど…」(木村さん)
最後の砦だった空きアパートが解体されたのは18年春。そして5月の大雨が降った日に、木村さんは駐車上でずぶ濡れになり、衰弱し切ったチビちゃんを発見。『どうぶつと共生するまちづくりの会』で地域猫活動をしていた石津佐智子さんに相談し、病院へ連れて行くと、猫エイズと猫白血病のダブルキャリアであることが分かりました。体力は、動物病院で過ごした2週間程の間に回復しましたが、外へ戻すわけにはいかず、かといってダブルキャリアとなると、先住猫のいる木村家や石津家には迎え入れられず…。猫を飼っていないボランティア仲間が預かってくれている間に、里親探しをすることになりました。
救世主が現れたのは18年7月。石津さんと旧知の間柄だった、兵庫・西宮に住む熊谷隆夫さん、美緒さん夫妻が預かりボランティアに手を挙げてくれたのです。熊谷夫妻は愛猫のテトちゃんを18歳で亡くして2年が過ぎ、ようやく次の子を迎えようという気持ちになった頃でした。
「石津さんには、2~3歳の若いきょうだいがいたら教えてほしいとお願いしていたんです。チビちゃんの前に2匹の猫を預かったとき、楽しそうに遊んでいる姿を見て、次は2匹がいいなと。年齢については、高齢だとまたお別れが近くなってしまうので…」(美緒さん)
つまり、チビちゃんは条件から外れていました。だから、最初はあくまで預かりボランティア。「あまりなついても困るから距離を置いていた」(隆夫さん)と言うほどです。でも、一緒に暮らせば情がわくのは必然。「こんなに快適に過ごしているのに、また新しいところに行かせるのは…」「人が好きな子だから、ケージに入れっぱなしの家はかわいそう」いろいろな思いが沸き上がり、夫婦どちらからともなく「正式にウチの子に」となりました。19年3月のことです。
「そう決めた理由の1つに“夜鳴き”があったんです。夜中になると毎晩のように鳴いて、ウチはマンションでも両隣りがないから大丈夫だけど、普通の家だと、トライアルの間に返されてしまうんじゃないかって。それを繰り返すのはかわいそうだと思ったんですけど、『ウチの子に』と決めた途端に鳴かなくなったんですよね」(隆夫さん、美緒さん)
チビちゃんは「ずっとここにいたいよ~」と鳴いて訴えていたのかもしれません。ちなみに、チビちゃんがチビコちゃんに改名したのは「“チビ”はウチの“コ“だから」(美緒さん)。たった一文字の違いですが、そこには熊谷夫妻の思いが込められているのです。
たくさんの人の手によって「命のバトン」がつながれたチビコちゃん。いつまでも元気でね!