若者を中心に大人気を博しているタピオカ。日本に紹介されたのはいつなんだろう。調べると、タピオカは、文明開化まっただ中の明治6(1873)年にはすでに日本に紹介されていた。明治の人たちは果たしてどのようにしてタピオカを口にしたのか―。
さまざまな古い文書をインターネット上で公開している「国立国会図書館デジタルコレクション」で「タピオカ」と検索してみた。このデジタルコレクションの書物の中で「タピオカ」という文言が載っている最も古い文献は、明治6年の「幼童手引草初編」という本だった。
前書きによると、「幼童手引草初編」は、世界の物品や風習を紹介する英国の児童書を翻訳した書物という。問答形式でさまざまな食品が掲載されている。
タピオカはその「巻之[の]上」の中盤に「タピオカとは何物[なにもの]なりや」という問いで登場する。回答を意訳すると「南米でキャッサバと呼ばれる根の部分を加工して細かな粒にして製造する」という趣旨で記されている。
明治初期に、タピオカを紹介するこの一文を書いたのは、杉田玄端[げんたん]。「解体新書」で知られる杉田玄白の息子の養子となり、幕末から明治初頭にかけて医師として活躍した人物だ。さまざまな医学書を翻訳するとともに、食べ物に関する書籍も手がけたらしい。杉田先生は、また「幼童手引草初編」の読者は、果たしてタピオカを食べていたのだろうか。
国立国会図書館デジタルコレクションをさらに検索すると、明治27(1894)年に発行された「製法自在 暑中の飲物[のみもの]」という本にも、タピオカが登場していることが分かった。こちらは現代風にいうと「夏のドリンクおすすめレシピ集」という感じだろうか。
「幼童手引草初編」は自分のパソコンから閲覧できたが、「製法自在 暑中の飲物」は公開基準が異なり、図書館に行かないと見られないという。早速近くの図書館で見てみると、二つのレシピが載っていた。
ゼリーと思われる「タピヲカジエリ」のレシピには、「タピヲカ」を湯煎し、少し固くなってきたところでレモンと砂糖を加える、とある。さらに型に入れて冷やして固め、牛乳を注ぐと書かれていた。
また、「タピヲカ、ブランクメンジ」という食べ物の作り方も掲載されている。水に浸したタピオカを煮立てた牛乳に入れ、そこに砂糖やバニラの煮出した汁を加え、型に入れる、と紹介されている。
明治に思いをはせながら、当時のタピオカスイーツを再現して食してみるのも、おつかもしれない。