JR京都駅前(京都市下京区)に巨大な伽藍[がらん]を構える東本願寺と西本願寺。地元では「お東」「お西」と並び称される存在だが、二つの寺がもともと一つの教団だったことは意外に知られていないのではないだろうか。二つに分かれた歴史と現在の関係を探った。
両本願寺の歴史の原点は、鎌倉時代に浄土真宗を開いた親鸞にさかのぼる。親鸞以降はその子孫たちが教えを守り継いだが、教団としての規模は小さかったとされる。
本願寺が門徒数を増やしたのは室町時代。現在では「中興の祖」とされる蓮如が各地で布教し、一大教団となった。蓮如は大阪の石山本願寺を拠点と定め、やがて門前町には多くの町民や商人が集まり、大いににぎわった。
戦国時代に入り、各地で有力武将が台頭する。石山本願寺や各地の本願寺勢力を好ましく思わなかったのが織田信長だった。