契約金2000万円、年俸240万円。1年目の75年、ロッテ戦で初勝利を挙げた。81年に中継ぎとして自身最多18試合に登板も右ひざの故障が響き、以降は登板なし。83年オフにトレードで森脇浩司(現中日1軍野手チーフコーチ)とともに広島へ移籍し、翌年に引退した。あの津田恒実さんとはウマが合い「家族ぐるみで付き合いがあった」という。
阪急を日本一に導いた剛腕・山口を差し置いて“全体1位指名”で飛び込んだプロの世界だったが、結局、目立った成績を残すことはなかった。現役生活を終えた後は、古巣に戻り6年間、打撃投手、用具係、スコアラーを兼務した。
退団後は奈良県安堵町の商工会に入り、その経験を生かして政治家に転身。町会議員として8年目を迎え、3年前から、母校の岡山・津山商の非常勤コーチも兼任。岡山県北から悲願の甲子園出場を目指している
「小さな町なので人に優しい町づくりを。母校には恩返しがしたいだけです」
まだ65歳。まさかの「いの一番」指名で人生が変わった元猛牛戦士は今、異色の二刀流で猛進中だ。