今年も「ドラフト会議」が近づいてきた。社会問題に発展した“江川事件”や巨人にフラれた清原和博の涙…幾多のドラマを生んだ運命の1日。44年前、近鉄から予想外の1位指名を受け、人生が激変したのが福井保夫さん(65)だった。
「私も、あの日を境に運命が変わった1人かもしれません。いろんな事情が絡んだでしょうが、まさかの1位。確か11月19日ですよ」
1974年のドラフト会議。当時は予備抽選が行われており、近鉄は全球団が欲しがる「いの一番」くじを引き当てていた。つまり“全体1位指名”。これ以上ない名誉だが、福井さんにとっては理不尽でもあった。
この年のドラフトは制度の見直しがあり、契約金の上限が外されていた。高校生ではアイドル的人気を誇った鹿実・定岡正二を筆頭に、銚子商・土屋正勝、横浜・永川英植、土浦日大・工藤一彦がビッグ4を形成。そして何より松下電器(現パナソニック)のチームメートに、剛球右腕で断然1位候補の山口高志がいた。 「私はプロ志望ではあったんですが、どの球団が来ているのか、会社で止まっていて、私には知らされていなかった。山口さんはプロに行かないという話もあったし、契約金も高くなるだろう。それに高校生の有力どころはパ・リーグはダメという状況もあった」
当時の松下電器には、山口以外にも後にロッテ、阪神で活躍する左腕・福間納がいた。福井さんは制球力とスライダーを武器に投手王国の一角を担っていたが、飛び抜けた存在ではない。ドラフト当日も大阪府門真市にあるラジオ事業部で普段通り従事。そんな中、思わぬ一報が入った。
「福井保夫、投手、松下電器」。司会のパンチョ伊東さんが独特の声と名調子で真っ先に名前を読み上げた。周囲が騒然となったのは言うまでもない。
「そりゃ、驚きましたよ。監督からはすぐに本社に来いと。電話が殺到していたのも覚えてます」。運命が変わった瞬間だった。