教育家の水谷修氏が、今月5日に保護責任者遺棄容疑で逮捕された若い母親の事件について、高校教員時代の実体験を踏まえて問題提起した。容疑者だけを責めるのではなく、その本質を問う。
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横浜で、大やけどを負った3歳の女児が、サランラップをまいた状態で放置されていた事件で、22歳の母親と1歳年下の交際相手の男性が逮捕されました。2人は、女児を病院に連れて行くことなく放置し、その妹の様子を心配した5歳の兄が近所に救いを求めて、発覚しました。命は取り留めたようですが、未だに病院で治療を受けています。
私は、長く高校の教員をしていました。30年前でも20年前でも、高校在学中に妊娠し、そして高校を中退して出産、母親として子育てをする生徒たちはいました。そのどのような場合も、私は、生徒指導担当の教員として、その少女の家族や相手、そして相手のご両親と話し合いを続け、両方の家族からの住まいや金銭的、人的支援をきちんと受けることのできる状況を作り、支えました。子どもを産むという行為には、その子どもをきちんと育てる義務があります。そのためには、それなりの安定した収入が必要ですし、十代の出産、子育ての場合、それを手伝う家族の力が必要です。それを、教員として、きちんと支えてきました。
今回の場合、この母親は、17歳で1人目の子どもを出産しています。彼女を支える体制は、どの程度あったのでしょうか。彼女と彼のしたことは、許されることではありません。これから法の下できちんと裁かれるでしょう。しかし、この2人の子どもの実の父親は、何をしていたのでしょうか。また、十代での出産、子育てを許した彼女の家族は、いったい何をしていたのでしょうか。子どもが子どもを産んで育てること、それがどれだけ大変で危険なことであるかは、だれが考えても理解できることです。