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ピエール瀧、脚本読み終え「なんじゃこりゃ」 試写後の第一声は「なんすか、これ」 映画「NEW GROUP」下津優太監督の反応は?

磯部 正和 磯部 正和

商業デビュー作『みなに幸あれ』で世界中の映画祭を震撼させ、日本ホラー界の新星として一躍注目を集めた下津優太監督。現在はハリウッドの大手マネジメント会社とも契約を交わし、世界を舞台にさらなる飛躍が期待されている。そんな監督が放つ最新作『NEW GROUP』で圧倒的な存在感を見せるのが、唯一無二の表現者・ピエール瀧だ。気鋭の監督と規格外の俳優がタッグを組み、観る者の理解を軽々と超えていく「なんじゃこら」な怪作について、制作の裏側と独自の創作論を語り合った。

 理解を超えた「なんじゃこら」という脚本に惹かれた理由

 ――前作『みなに幸あれ』でも独特の世界観を構築されていましたが、今作も下津監督らしさが全開でした。今回、ピエール瀧さんにオファーされた決め手は何だったのでしょうか。

 下津優太監督(以下、下津監督):物語において、主人公の二人の前に立ちはだかる絶対的な障壁として、圧倒的な「ボス感」を求めていました。瀧さんなら、画面の中に存在するだけで観客を圧倒する「敵」としての説得力を表現してくださる。立ちはだかる高い壁のような存在として、ぜひお願いしたいと考えました。

 ピエール瀧(以下、瀧):きっと、僕のこの「顔面」ですよね(笑)。「こんな奴がいたら嫌だな」と思わせる視覚的な説得力を求めてくれたのだと思います。

 ――瀧さんは、脚本を読んだ際にどのような印象を。

 瀧:最初に脚本を読んだときは、思わず「なんじゃこら」と口に出してしまいました(笑)。脚本を読み込んだところで、すべてが論理的に理解できるわけではない。監督の前作『みなに幸あれ』も拝見したのですが、こちらも同じく「なんじゃこりゃ」という衝撃がありました。ただ、今の時代にこれほど奇天烈な内容を「撮らせてくれる」環境があり、それを「撮りたい」という強い意志を持つ監督がいる。ならば、その熱意にお応えしようと出演を決めました。

 ――「分からない」という好奇心が、出演への大きな動機になったのですね。

 瀧:そうですね。すべてが腑に落ちて演じているわけではありません。映像の最終的なイメージは監督の中にしかないものですから。理屈で納得するよりも「なんだか奇妙なイベントが開かれているから、ちょっと行ってみよう」というお祭りに参加するような感覚に近いかもしれません。現場でのディレクションも、意外なほどハキハキとした明るいものでした。ホラー作品を撮っている人は根が暗いのかと思いきや、監督もスタッフも楽しそうに撮影されていて、そのギャップが面白かったですね。

「規律」を恐怖へ変換する。ハリウッドを見据えた戦略的演出

 ――現場での具体的な演出で、印象に残っているエピソードはありますか。

 下津監督:演出については、細かいリクエストを出すことはほとんどありませんでした。瀧さんがそこに立っているだけで、すでに作品の説得力が成立していたからです。中盤、リズムに乗るシーンを撮影しているときは、モニターを見ながらニヤニヤが止まりませんでした。「あ、Netflixで見たやつだ!」と、いちファンとしてワクワクしながら撮らせていただきました。

 瀧:完成した作品を試写で観た際、僕の第一声は「なんすか、これ」でした。でも、下津監督はそれを聞いて大喜びされていた。この作品は、インダストリアル・ノイズ・パンク・バンドの曲を聴くようなものです。音楽を聴いて「なぜこのフレーズが入るのか」と分析しても意味がないのと同様に、理由を探さず「どう感じるか」に身を委ねるのが正しい。だからこそ「なんすか、これ」は、僕なりの最大級の賛辞なんです。

 ――下津監督は、ハリウッドのマネジメント会社と契約されたそうですが、今後の展望についてはどうお考えですか。

 下津監督:はい、ロサンゼルスのマネジメント会社と契約しました。今後は現地のプロデューサーに企画をプレゼンしていくことになります。かつて清水崇監督や中田秀夫監督が『呪怨』や『リング』で切り拓かれたように、自分もその道を突き進みたい。ホラーというジャンルは言葉や文化の壁を超えて共有できる「恐怖」を扱うため、世界に挑戦するには大きな可能性があります。

 ――今作の演出にも、海外を意識したポイントがあるのでしょうか。

 下津監督:前作で海外の映画祭を回った際、日本の「規律」や「集団行動」が持つ異様さが、欧米圏の観客にとって強い恐怖に映るという手応えを感じました。そこで今作では「組体操」をホラーのモチーフとして取り入れています。一糸乱れぬ整列や身体的表現が生む不気味さは、東アジア独自の文化背景がありつつも、視覚的な恐怖として世界に通用するフックになると考えました。

 ピエール瀧の美学。「俺が、俺が」にならない純度の高め方

 

――瀧さんは、多くの若手監督から求められる自身の「存在感」についてどう感じていらっしゃいますか。

 瀧:自覚があるわけではありませんが、この顔のサイズに産んでくれた両親には感謝しています(笑)。スクリーン向きの顔面だとは思います。ただ、僕は元々俳優を志してこの世界に入ったわけではないので、作品の中で「自分が一秒でも長く映りたい」というエゴが希薄なんです。

 ――「映ってナンボ」というプロの俳優の価値観とは、少し異なるのですね。

 瀧:そうかもしれません。現場でも「このシーン、俺がいなくてもいいんじゃないですか?」と提案することがあります。自分がいない方が、より不穏な空気や作品の「純度」が高まるのであれば、そちらを選択した方がいい。あくまで作品というパズルの一部としてお手伝いに行っている感覚なんです。今回の撮影現場は学校が舞台でしたが、すでに生徒役の子たちのチームワークが出来上がっていて、そこに「新任の校長」として赴任したような面白さがありました。

 ――下津監督は、そんな瀧さんとご一緒していかがでしたか。

 下津監督:監督としては、自分の頭の中にあったぼんやりしたイメージが、瀧さんの存在によって具現化されていく過程が楽しくて仕方がありませんでした。「早くあのアングルで撮りたい」と、創作の喜びを感じさせてくれる稀有な俳優さんです。

 ――またお二人でのタッグを期待します!

 下津監督:もちろんです。瀧さんのような圧倒的な存在感は、他の方では代えが利きません。いつか、ハリウッドのプロジェクトでも、何か「奇妙な役」があればぜひお願いしたいと思っています。

 瀧:それは楽しみですね。その時もまた「なんじゃこら」と言わせてくれる、強烈な体験を期待しています。

 「なんじゃこら」という驚きは、観客の既成概念を打ち破る新しい表現の産声だ。下津監督が描く、規律と狂気が混ざり合う独自の世界観に、ピエール瀧の「エゴを捨てた存在感」が重なり、邦画の枠を超えた怪作が誕生した。ハリウッドを見据える気鋭と、作品の純度を追求するベテラン。二人の挑戦は、日本映画が世界で戦うための新たな武器となるだろう。

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