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一日往復48kmの登山を1000日、途中でやめれば自害の掟─! 大峯修験1300年で「千日回峰行」を初満行、柳澤眞悟さんが語る修行の原点

北村 守康 北村 守康

物価の高騰、自然災害、不安定な世界情勢、急速なDX化、SNSに飲み込まれる日常。私たちの不安や自己嫌悪の種は尽きない。

焦りや不安を修行という手段で打ち消してきた人がいる。柳澤眞悟さんは、大峯修験道1300年の歴史で「大峯千日回峰行」を初めて成し遂げた僧侶である。

1300年の歴史で初めて成し遂げた「千日回峰行」

大峯千日回峰行とは片道24km、標高差1355mの険しい山道を一日1往復(48km)、猛暑であろうが嵐であろうが1000日間歩き続ける金峯山寺(きんぷせんじ/奈良県吉野町)の荒行である。山上ヶ岳(1719m/奈良県天川村)の頂にある大峯山寺が開門している5月から9月の百数十日を毎日約15時間かけて往復し、足掛け8年を費やす。一度修行を始めると途中ではやめられない。やめるとき、失敗したときは持参の短刀で自害する掟があることから「世界で最も過酷な修行」としてSNSで紹介されている。

「(廃仏毀釈の影響で)明治以前の記録は残っていませんので、もっと厳しい行(=修行)をする人もいたかもしれません」と平然と語る柳澤さんに自身の偉業を誇る様子はない。その偉業の凄まじさに対して、柳澤さんに関する情報の少なさがそれを物語っている。

僧侶ユーチューバーと対談するネット動画を見て、その偉業とは不釣り合いな謙虚さに感銘を受けた筆者は、柳澤さんに取材依頼をしたが断られ、それから何度か会って承諾してもらうのに1年かかった。冒険家でもない自分が、過去の功績についてあれこれ語るのは修行僧としての人生哲学にそぐわないと言う。

かと言って必ずしも取材依頼を受けないわけではない。昨年、人間学をテーマにした雑誌の対談インタビューを受けた。かねてより交流があって、柳澤さんも一目おく比叡山延暦寺で十二年籠山行など過酷な行を満行してきた高僧が対談相手に柳澤さんを指名してきて、それを有難く受け取った。

「自分の不甲斐なさを克服したい」修行の原点

柳澤さんは、1948年生まれの77歳。現在は、金峯山寺の役職に就きながら支援者らによって建立された修行道場「行藏院」(大淀町)の住職を務め、自らの修行にも余念がない。しかし最初から僧侶を目指したわけではない。長野県出身の柳澤さんは幼い頃は病弱で他人に誇れるものが無く、自己嫌悪に陥りながら悶々とした少年期・思春期を過ごす。高校時代に長距離走と出合い、卒業後は実家の農家を継ぎ、余暇は長距離走をしながら寒中に水を浴びるなど自己鍛錬に明け暮れた。「自分の不甲斐なさを何としても克服したい」その思いは25歳の時に頂点に達する。後先を考えず1974年2月、亡き父が行者として縁のあった金峯山寺の門を叩く。

「3年ほど修行して、長野の実家に帰るつもりでした」

当時の柳澤さんにとって出家は武道場に入門するようなものだった。その年の秋、師僧である五條順教(ごじょう じゅんきょう)28代管領が「四無行」という断食・断水・不眠・不臥(横にならない)で9日間、経を唱え続ける過酷な行をするにあたり、先輩の修行僧らと共に身の回りの世話をする役目を務めることになる。

「3日目には(師僧の)顔がむくみ、7日目には死臭が漂い、死を覚悟したのでしょうか、遺書をしたためました。間近で見ながら、死をも恐れず自分に課した誓いを粛々と行う。こんな世界があるんだと深く感動しました」

行を終えた師僧は以前にも増して尊く見えた。一歩でも近づきたい。厳しい行をすれば自分の中で何かが変わる。柳澤さんは翌1975年に百日回峰行(千日回峰行と同じ経路。ただし最初の50日は片道)を、途中体調不良で何日も食事ができなくなるなか満行する。しかしその偉業とは裏腹に自分の不甲斐なさにさいなまれる。僧侶をやめて長野に帰ることも考えた末、師僧に再び百日回峰行を懇願する。2度目は初日から100日目まですべて往復して満行(史上初)する。しかしそれでも満足できる行には程遠く、大峯修験1300年で前例のない千日回峰行の許可を師僧から取りつけ、そして8年かけて1984年、36歳で満行する。

得ようとする心を手放したとき、修行は変わった

壮絶な8年間だったに違いないが、柳澤さんの口からドラマチックなエピソードは出てこない。ただそれまでの修行とは違い、納得できるものとなった。

「700日目くらいと記憶しますが、行きの山道で突然雨が降り出しました。それまでは何かを得なければならないと思いながらもきついだけで、来る日も来る日も焦りと不安に押しつぶされそうになりながら行をこなしていました。雨に打たれながら、焦ることも不安になることもない。ただ目の前の行をこなせばいい。不意にそんな気持ちが芽生え、気持ちが晴れました」

その瞬間から不安感だけでなく疲労感や足の痛みにも執着しなくなった。残りの300日は自然と湧き出る感謝の気持ちで山道を踏みしめ、最後の日はとにかく足が軽かったと当時を振り返る。

その後、師僧もかつて行った四無行を自らも満行し、笙の窟(しょうのいわや)という岩窟に100日間籠る行では、体の中に眠っていたエネルギーが動きだす感覚を覚え、その体験は修行僧としての大きな転機となった。時は昭和から平成に変わる1989年、柳澤さん41歳の時だった。それ以来、わくわくするような高揚感は途切れることなく続き、何気ない一挙手一投足まで喜びを感じる。しかしそれで満足することなく、さらなる境地を目指して、宗派・宗教の垣根を越えた独自の修行で自己研鑽の毎日を過ごす。

「修行とは井戸に雪を放り込むようなもの。雪は水に溶けて消えてしまう」

師僧である五條順教管領のこの言葉を柳澤さんはいつも大切にし、自分が満行した数々の厳しい行に心がとらわれることはない。

「大変厳しい行を満行しても、それ自体に意味はありません。それを通じて得る、気づきや感覚こそが行の真髄です。かと言って、一度掲げた行は蔵王権現(本尊)への誓いですから満行するのが道理です」

自身の不甲斐なさを克服するために出家した若者は50余年を経てもなお、衰えぬ向上心で未知の心境にたどり着こうと今日も修行を続ける。柳澤さんの修行に終わりは無い。

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