大手自動車メーカーを3年で退社→インド最貧州に渡ったサッカー青年の挑戦 カースト制度や女性差別が根強い社会で変革目指す

小森 有喜 小森 有喜

インドの最貧州でサッカーチームを作り、子どもたちの夢の実現に向けたサポートを続ける日本人男性がいる。新卒で入った大手自動車メーカーを退職し、NGOの駐在員としてインドに赴任。現在は会社員として働きながら、社会課題の解決に挑む「ソーシャル・サッカーチーム」を運営している。萩原望さん(31)=インド・ビハール州在住=の異色のキャリアをたどった。

華々しいサッカー遍歴→新卒でトヨタへ

岡山県倉敷市出身。3歳の頃からサッカーを始め、小学生で中国地方の選抜チームに選ばれるなど高いレベルでプレーした。Jリーグ大分トリニータの下部組織を経て、立命館大学でもサッカー部に所属。プロ選手になる夢は叶わなかったものの、大学卒業後はトヨタ自動車へ入社した。新車の販売計画策定、市場分析などの業務に従事した。

萩原さんは、フランス文学の准教授である父親、英語の通訳である母親のもとで育った。そうしたこともあってか、もともと教育や難民問題といった国際的な事柄への関心が高かったという。大学生の頃から国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)への定期募金をしていたほどだ。就職先にトヨタを選んだのも、将来的に海外赴任したいと思ったからだった。

上司や同僚にも恵まれ職場環境に不満はなかったが、UNHCRから毎月届く活動報告の冊子を見るたびに「今すぐにでも、途上国の人々を支援する仕事がしたい」という思いが募った。トヨタ入社から3年半ほどが経過した頃、国連職員になろうと同社を退職。国連で働く条件を満たすためアメリカで大学院進学を目指したが、残念ながら希望する大学院への進学は叶わなかった。

縁もゆかりもないインドに赴任

そして、ちょうど職員を募集していた日本のNGO団体に応募して採用された。2021年、縁もゆかりもないインドに27歳で派遣されることになる。場所は、同国の最貧州であるビハール州。インド全28州の中で「カースト」の最下層の人が最も多く住む州の一つだ。

そんなビハール州で萩原さんは、有機農業の普及を支援するプロジェクトに携わった。余暇の時間で、運動のためサッカーボールを蹴っていたところ、「教えてほしい」と子どもたちが集まってきた。その輪が次第に広がり、一般社団法人としてサッカースクール・チームを立ち上げるに至った。FC Nonoという名前は、萩原さんが子どもたちから呼ばれていたニックネーム「ノノ」にちなんだ。

子どもたちの家にあげてもらうような機会も増え、現地の人たちとの交流は深まったが、そのぶん都市部と農村部における格差を肌で感じたという。「経済、教育、ジェンダー…さまざまな面で大きな隔たりがある」と萩原さんは話す。

特に印象的だったのはジェンダー格差だった。女性は幼少期から家の中に入って家事や育児を手伝うものとされ、「児童婚」の習慣も根強く残る。萩原さんは「彼女たち自身も周囲の大人も、そうした境遇を仕方のないことと受け入れてしまっている側面がある」と話す。

FC Nonoの活動についても、当初は「女の子がサッカーなんてやるもんじゃない」といった見方が強くあり、子どもがサッカーをしたがっても親が許さないというケースもあった。それでも萩原さんは、子どもと一緒に家事の手伝いをして信頼を得るなど地道に働きかけ、次第に女子メンバーも増えていった。

今では、村で女の子たちがサッカーをする光景が当たり前になっているそうだ。現在チームに所属しているのは男女合わせて40人ほどで、活動に参加した子どもはのべ200人を超える。

スポーツ通じ子どもたちが「権利」を認識

カースト制度や女性差別に縛られた環境にある子どもたちがスポーツを通じて自己実現する効果について、萩原さんは大きく二つのポイントを挙げる。一つは、彼ら・彼女ら自身が自らの「権利」を認識するきっかけになること。二つ目は、練習を通じて上達した経験が普段の生活では得られない大きな自信につながることだ。

活動の幅も広がっている。サッカースクール以外にも、衛生・栄養やジェンダーに関するワークショップ、孤児院でのサッカー指導や刑務所での更生指導など、さまざまな形で子どもたちに携わる。

ビハール州で全寮制のサッカーアカデミーをつくることが目標で、州のスポーツ省とも協議を進めている。「教育のための環境整備を進めていきたい。子どもたちが自分の意思で道を選べ、努力が報われる社会を実現したい」と萩原さんは力を込める。

新たなチャレンジ

そんな萩原さんは3月8日現在、「2000キロをドリブルで走破する」というユニークなプロジェクトに挑戦している真っ最中だ。

3〜5月の約90日かけて、コルカタからニューデリーまで約2000キロをサッカーボールをドリブルしながら走る。道中の村々ではサッカーを教えるだけでなく、前述のようなワークショップも開催。インド現地のメディアに取材されることや、SNSなどで話題になることで、インド全土にサッカーの魅力とジェンダー平等といったメッセージを広める狙いがあるという。

2000キロのドリブル走破後はさらに、FC Nonoに所属する10〜12歳くらいの子どもたちを日本に招待する計画も進めている。日本の児童との交流だけでなく、リサイクルセンターの視察といった環境問題に関する勉強、広島平和記念公園の訪問など、多角的な学びの機会を提供し、子どもたちが将来インドの社会問題解決の担い手となることを期待している。 

現在FC Nonoの活動には、日本国内でも7人ほどがボランティアとして参画している。広報や民間企業との連携、栄養学など、それぞれの本業や経験で培った知見を生かす。また活動には浦和レッズの西川周作選手、大分トリニータの清武弘嗣選手ら多くのサッカー関係者もアンバサダーとして名を連ね、賛同している。

萩原さんは「インドの農村地域では、自分の努力ではどうしようもない、変えることができない要因で選択肢が限定される現状がある。ジェンダー格差やカースト制度がある中で子どもたちが自分の道を進むため、教育とスポーツに関する充実した環境づくりが何より重要だと思います」と話す。

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