絶品カニと外湯めぐりで人気の城崎温泉 100年前の大震災を乗り越え、スタンプラリーに水着バスなど若旦那のアイディアでピンチを救った「共存共栄」の精神とは!?

クラブTVO編集部 クラブTVO編集部

関西屈指の温泉地、兵庫県の「城崎温泉」。川沿いの柳並木が美しく、冬は「カニ王国」とも言われ、多くの観光客が訪れる温泉街ですが、この温泉街は旅館同士、横のつながりが強いという特徴があることをご存知でしょうか。100年前、大災害に直面した城崎町がどのように乗り越え、今の人気温泉街を作りあげたのか…その復興ヒストリーに迫ります!

100年前、城崎温泉を襲った巨大地震が発生

街の中心を流れる大谿川(おおたにがわ)を中心に約80軒の歴史ある旅館が立ち並ぶ城崎温泉。まちづくり会社「湯のまち城崎」代表を務め、旅館つばき乃の会長である椿野仁司さんにお話を伺いました。

「街全体が大きな旅館・ホテル」という理念に則って今も栄えているそうで、城崎温泉駅が玄関、道路が廊下、旅館が客室、土産物屋が売店、外湯が大浴場という位置づけだといいます。基本的な精神は「共存共栄」で、およそ100年ぐらい前から受け継がれてきたのだそうです。この理念を誓ったきっかけは100年前の大震災が関係しているといいます。

大正14(1925)年5月23日、午前11時9分。城崎町を震源とするマグニチュード6.8の「北但大震災」が発生しました。広範囲に火災が発生し、城崎町の大半が全壊、全焼し、辺り一面焼け野原になったといいます。

町の人口3410人のうち、死者272人と人口の8%が亡くなるという絶望的な状況に、旅館西村屋の4代目の当主で前年に就任したばかりの当時の町長、西村佐兵衛は「湯が枯れない限り、城崎は復活できる」「これだけきれいさっぱり無くなったのだから、新しい温泉地を作る」と逆転の発想で町民を鼓舞。復興に向けて立ち上がります。

震災の教訓を生かし、火に強い町を目指す!

城崎では古き良き景観を守るため、鉄筋コンクリートの建築を避け、木造建築が軒を連ねている町を形成してきましたが、それが火の回りを早める原因となりました。

しかし、城崎といえば「木造建築」というこれまでの景観を守るため、町長が取った方法は鉄筋コンクリート製の防火壁、「火伏壁」を随所に作ること。さらに銀行、警察、郵便局などを鉄筋コンクリート製の建物にし、建物自体に「火伏壁」の機能を持たせました。

防火壁だけでは不十分と考えた町長は、今後自動車なども通ることを想定し、道路も拡張して余裕を持たせたほうがいいと考えます。そこで、住民から少しずつ土地を町に寄付してもらうことに。町の大半が全焼したからこそ可能な荒技ですが、必死で懇願し続けた結果、「町長が言うなら」と城崎町のすべての施設、すべての住民が土地の提供に同意してくれたそうです。

こうして車も通れるようになりつつも、震災以前の昔ながらの風情ある街並みで再建することができました。また水害対策として大谿川の拡張も行い、城崎温泉のシンボルである太鼓橋と柳並木はこの時に完成したといいます。

この震災復興をきっかけに町全体で「共存共栄」の精神が強くなったのだそうです。

その思いは現在にも受け継がれています。「自らの商売も大切だが城崎温泉を売ってなんぼというような意識があり、それがお客様を魅了する城崎の強み」と語るのは西村町長のひ孫にあたる西村屋旅館の西村総一郎さん。2025年は震災から100年に当たることから「北但大震災復興100年プロジェクト」を立ち上げ、未来を見据え、観光客にとってより快適な温泉街を目指しているそうです。

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