災害時に“頼れる寺”を目指して 大震災を経験した住職が重ねる「ドローン仏」など斬新な取り組み 人々とつながる場所づくりを模索

浅井 佳穂 浅井 佳穂

 阪神大震災から17日で30年を迎えた。小型ドローンに仏像を載せて「来迎」を表現する「ドローン仏」を交えた法要をはじめ、さまざまな斬新な取り組みで知られる龍岸寺(京都市下京区)住職の池口龍法さん(44)は当時の阪神地域で地震を経験した一人だ。当時の中学生が見た震災とその後の自身への影響を聞いた。

 阪神大震災当時、池口さんは兵庫県尼崎市の寺に住む私立中2年だった。

 「寝ていてどーんという揺れで目覚めました。ちょっと揺れて、これは経験したことない揺れだなと思っていると、どんどん揺れました。震度1や震度2は経験したことはあったが、まさか大きい地震はないだろうと思っていました」

 家族7人は無事だった。お寺の至る所にひびが入り、しっくいの壁ははがれ落ちていた。さらに周囲は停電し水道は止まっていた。

 「子ども心にただならぬ何かが起こったというのは感じました」。停電のためテレビはつかず、どこが震源で、どこの被害が大きいのか情報がなかった。ただ「父は冷静で『学校(行く必要は)ないよ』と言っていましたね」。

 通っていた私立中の体育館と柔道場は避難所になっていたこともあり、1月末まで休みとなった。休み期間のある日、中学校に行ったという。「リュックサックに使い捨てカイロなどを詰めて学校に持っていき、ボランティアのまねごとをしました」

 2月になり短縮された状態で授業が再開。池口さんは電車を乗り継ぎ西宮市の中学校に通い始めた。まだ兵庫県内の鉄道は至る所で寸断された状態だった。2時間半かけて登校する生徒もいたという。池口さんの1学年下の生徒が犠牲となっていたことも知った。

 通学が再開となると変貌していく町の姿を目の当たりにした。印象的だったのが阪急伊丹駅(兵庫県伊丹市)だ。高架の駅舎は倒壊し、解体された。「町が変わった、元の町じゃなくなったという思いがありました」。少年だった池口さんが10年余り眺め、脳裏に刻まれていた景色は大きく変わっていった。

 その後、僧侶となった池口さんは知恩院(浄土宗総本山、京都市東山区)で機関誌の取材や編集を行う。2011年、東日本大震災が発生し被災地を訪れた。

 「できるだけ現地に行って記事を書きたいという思いがありました。神戸の地震を経験していると明かすと、温かく迎えてもらいました」

 東日本大震災で寺が避難所となったケースがあったと知った。

 「お寺が地域のインフラになれるかどうか。京都で災害が起こった場合、何ができるか意識を持つようになりました。同時に、頼ってもらえる寺になっているだろうか、とも。日頃のコミュニケーションが大事だと思います」

 龍岸寺は「ドローン仏」やメイド姿の若者が案内役となる宗教間対話「冥土喫茶ぴゅあらんど」など従来にはない取り組みでも知られる。町の多くの寺では、住職がどのような人か、寺がどのような活動を行っているかは見えにくい。しかし、龍岸寺ではこうした催しなどを通じ発信を続け、寺や住職を知ってもらう機会にもなっている。

 「1回でも足を運んだ場所は、災害のあったときに頼りやすくなるし、1回でも話したことのある人は、初対面のときよりはずっと気軽に話しかけられるはずです。緊張や警戒心を解くために、まずはお寺に来て住職と接してほしいな、という思いがあります」

 阪神大震災後、町の変貌を眺めていた少年は京都で宗教者として活動する。最近でも熊本や能登半島で地震があり、京都を含む西日本は南海トラフ巨大地震の可能性が指摘されている。30年の節目を前に考えるのは-。

 「災害も多く、身の危険を感じることもあります。自分自身の命を見つめ、日々ちゃんと悔いが無いように生きることが大事だと思わされます」

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