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「また近所の工場がなくなった」縫製業界が抱える不安 3代目の26歳による挑戦「日本製を求めている人はいる」

宮前 晶子 宮前 晶子

「また近所の縫製工場が一つなくなりました。正直、26歳でこの世界を継ぐことに不安はあります。でも、なくなっていく現実を見ているからこそ、僕は前を向く。残す側になるために、進みます」

紡績の街として知られる京都府綾部市の縫製工場・吉﨑縫製所の3代目吉﨑じゅんさんは、危機感を募らせながらも現状を打開すべく、奮闘。応援の声がSNSでは次々と上がりました。

今は海外生産が多数となり、「日本製」「MADE IN JAPAN」と表示された肌着は減少傾向に。原材料の価格高騰、従業員の高齢化、事業継承者の不在などで、会社や工場を畳むケースも。それは中小企業に限らないことで、2025年に大手メーカー「グンゼ」も国内4工場の閉鎖を発表しています。

SNSでの発信を通じて「日本製を求めている人は多いことに気づいた。その思いに応えるのが使命」と考えるじゅんさん。日本製肌着への思い、家業を継ぐということについて、取材しました。

祖父母、父母が守ってきた家業、失くしたくない

大手肌着メーカーの誕生地であることから大小さまざまな肌着・衣料関連の会社や工場があり、紡績の街として成長してきた京都府綾部市。じゅんさんの実家も、祖父が21歳で縫製会社を起業。

休みなく働く祖父や父、その仕事を支える祖母・母の姿を見て、じゅんさんたち3兄弟は育ってきました。じゅんさんも兄弟も家業を継ぐつもりは皆無で、学校卒業後はそれぞれが進みたい道へ。

じゅんさんは実家を出て、京都市内で理学療法士として働いていましたが、その頃から家業の将来を考える時間が増えていったそう。

「祖父母や父母が必死で働いたおかげで、僕らも従業員の暮らしも守られてきました。それを僕ら世代が失くすのは嫌だなぁと思うようになったのです」

そのときに自問自答したのが、「経営について何も知らない20代の若者が家業を背負い切れるのか?」「縫製業の魅力やしんどさをわからないままで飛び込んでやっていけるのか?」「安定した職業を捨てて、打ち込んでも暮らせるのか?」……なかなかポジティブな考えは浮かびません。

しかも、父親は「まだ、おまえには早い」と、首を縦に振ってくれませんでした。

1年間悩みに悩んだ末、24歳で家業を継ぐことを決意。父も「帰ってこい」と迎えてくれました。家業を引き受けることのしんどさを知っている母からは少し心配されましたが、結婚したばかりの妻からも背中を押され、「頑張れる、と力が湧いてきた」と言います。

SNSで縫製工場のリアルを発信

家業の工場で働く前の数ヶ月間、「縫製見る前に一回裁断勉強してこい」と父に言われ、裁断工場で修業し、現在は家業の工場で勤務。

「工場では裁断から縫製、仕上げ、検品、パターン作成、サンプル製作などオール加工を行い、僕は現場管理やミシンの調整、生産管理を担当しています。ミシン作業は、熟練の職人さんにお任せしています。ただ、どんな技術を使って仕上げているのかを知るために、ミシンを踏むことはあります」

理学療法士にもやりがいは感じていたそうですが、縫製の仕事はそれ以上だと言います。

「正直この業界、若い人はほとんどいないです。でも毎日現場にいると分かります、まだまだ面白い仕事やなって。 続ける人が減ったなら、残った人が面白くすればいい。経験不足を感じる日々ですが、それを乗り越えることにやりがいを感じるし、失敗しても次に活かそうとモチベが上がります」

現場での業務に情熱を注ぎながら、Xのアカウントを2025年11月に開設し、熱心に取り組んでいるのがSNSでの発信です。

「父からは、自分たちがやってきたことをそのままなぞるだけではこれからの時代、生き残っていくのは厳しいと言われました。これまで縫製の現場のことは、発信されていなかったと思います。

現場のリアルを包み隠さず伝えていくのは、まだまだ半人前の僕だけどできる!僕のやりたいことでもあるし、僕だからできることだと思いました」

基本的には完成した製品をメーカーへ納品するため、販売に直結する発信ではありません。日々の業務の中で感じたこと、知っていることを発信。

「日本の縫製工場、実はかなりギリギリでやってる」
「すごい技術ではなく、あたりまえのことを積み重ねて60年やってきただけ」
「日本製1.4%を2%に引き上げるには、現状から更に年間2,000万枚以上の日本製衣類を売らなければならないらしい。業界全体のムーブが必要だから、声を上げていく」

すると、日本製の商品が苦境に立っている状況を知った人々が、「誠実に製品を作るところから買いたい」「日本製を守ってくれることに感謝」「現状を知った消費者側も広める努力をしないと!」「安かろう悪かろう大量消費はもういい」など、コメントを書き込むように。

「SNSでダイレクトな声をいただき、メイドインジャパンを応援してくれる!まだまだ日本も捨てたもんじゃない」と実感したじゅんさんに、新たな構想が生まれました。

無理やろの声に凹まず、ファクトリーブランド始動 

じゅんさんの心に灯った新たな構想とは…自社が生産するファクトリーブランドです。「どこで買えるの?」「自社商品の肌着が欲しい」というSNSのリプライに背中を押されました。

また、もうひとつの危機に直面したこともファクトリーブランドの立ち上げを促したそうです。

「昨年のことになりますが、長年取引していた大手肌着メーカーから受注終了の知らせを受けたのです。毎月4万枚近く縫っていた仕事がなくなる、ゼロ受注です。経営者の方なら、この重みは想像できると思います。

品質については高く評価していただいており、メーカーの担当者さんは仕事がなくならないように頑張ってくれていました。うちの技術もこの仕事があったから磨かれたし、従業員たちの暮らしも守れたと感謝しています。しかし、下請けは、いつ切られてもおかしくない。それを身に染みて感じました」

国内生産よりも安価で行える海外での生産や自社工場での内製など、肌着メーカー側の事情はさまざま。工賃を抑えることが可能かといった依頼もあるそうです。

「品質や信頼を保つには、工賃低下はできないと思いました。うちの会社としてはできないし、それをやってしまうと結局業界全体の首を絞めてしまいます」

これまでは下請けの製造会社は裏方であり、表に出ることは良しとされない風潮がありましたが、今は表に出られる時代です。「仕事を受けるだけじゃなく、自分たちで選ばれる存在になろう」とファクトリーブランドの始動をSNSで宣言。

「ブランドを始めると言った時、最初にもらった言葉は“無理やろ”でした。この業界での経験が豊富な方たちからは鼻で笑われました。それも当然だと思います。実績も肩書きもない26歳の挑戦が、うまくいくなんて誰も思いませんよね」

しかし、フォロワーの数や応援の声、いいねの数、これらの熱量を見せると、「もしかしたら?」と思ってもらえる瞬間が増えてきたそう。認知度も高まり、父の人脈とは異なるじゅんさんだけの人脈も広がっています。

「正直、毎日不安です。でも、ファクトリーブランドが生まれるその日まで、みなさんの熱を繋ぎ続けるのも僕の役目だと思う。この熱をもっとでっかいものにしていけるよう試行錯誤していきます」

安い、早い、手軽ではなくとも…日本製の綿肌着を

現在は、第一弾商品の開発に取り組む日々。デビュー作となる綿肌着について「 “それは本当に届けたいものなの?” ある人に言われたこの言葉で、自分の中の答えがはっきりした。流行でもなく、売れそうとかでもなく、本気で届けたいものを作る。それが今回の肌着です」とSNSに投稿しています。 

大事にしたいのは、着る人の声。その声が広がって日本製の下着に目を向ける人が増えることを願うじゅんさん。

「“安い、早い、手軽”が売れるけど、ファクトリーブランドで実現したいのはその逆。見えない部分の細かいこだわりを伝えていきたいし、そこに価値があるとわかってもらいたい」と話すじゅんさんは、2026年7月3日(金)・4日(土)に開催される『日本製の覚悟店』(会場 東京・有楽町 東京交通会館 12F カトレアサロンA)に参加することを決めました。

日本各地でものづくりを行う規模も業種もさまざまな16の企業が集まる展示会は、足を運ぶ人が各社が作るものに、手で触れて、職人や製作者と言葉を交わせ、選べるという仕立て。

「日本製の覚悟店の主旨に共鳴し、参加したいと思いました。吉﨑縫製所としても、今回ファクトリーブランドを立ち上げ、60年ずっと縫ってきた肌着を世に送り出すにあたって、本当にいい物か、本当にその値段にあった価値のある物なのか?そこを実際に触って見て、感じてもらえる機会を作りたかったです」

さらに、見るだけではわからない商品の魅力を、作ってきた人間だからこそ伝えられる場になればと言います。

「今の時代、何が本当で嘘かも分からなくなっている状況で、伝えるってすごい大切なこと。それが実現できる機会を頂けるのだから、これらの想いを直接お客様にぶつけたい。

日本の縫製工場が厳しいのは事実ですが、やり方や見せ方次第で届く人にはちゃんと届く。作り手である僕たちも変わっていかなきゃいけないし、いろいろ動かなきゃいけないと思っています。新しいことに挑戦していきます」

■じゅん|吉﨑縫製 X @yoshizaki_seiho

■吉﨑縫製所HP https://yoshizaki-ayabe.com

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