その猫はメインクーンミックスの5歳の避妊済みの女の子で、名前をキャンティと言いました。キャンティは私の家で飼っており、一度だけ出産を経験した後に避妊手術をしました。産まれた5匹のうち1匹のオスと、キャンティの実の兄(オス)を含めた3匹で暮らしていました。当時、私は一人暮らしを始めたばかり。仕事は動物病院で、朝早く家を出て夜遅く帰宅する日々を送っていました。ですから、日中はほぼ人間のいない3匹暮らしです。夜、私が帰ってくると、その後はご馳走がふるまわれるので、いつも3匹は私の帰宅を熱烈歓迎してくれました。
しかし、私は忙しさもあり、3匹それぞれの性格や関係性について深く把握していませんでした。そんなある日、オス猫たち2匹が実家に預けられ、キャンティだけが私の家に残ったことがありました。それまで私に対してあまり興味がなさそうにふるまっていたキャンティが、突然甘えん坊になり、膝に乗ってゴロゴロスリスリしてくるではありませんか! どうやら普段はガサツなオス猫たちに囲まれ、人間に甘えたくても甘えられなかったのだと気づきました。その頃、キャンティはトイレの外に敷いたマットの上におしっこをしていたり、暗い部屋に一人でいることも増えていたのです。彼女は気を遣う性格だったため、オス猫たちとの生活にストレスを感じていたのではないかと私は思い始めました。
そんな折り、親友が新居に引っ越したと聞き、遊びに行く機会がありました。友人は結婚後、夫の両親と同居するために二世帯住宅を建てたばかり。初めて会うお義父さんはとても寡黙で、ダイニングテーブルに座ってテレビの前から動かずにぼんやりとしている様子でした。後に友人から、義父さんが若年性認知症を患い、仕事を辞めざるを得なくなったことを聞きました。しかし、そんなお義父さんも、テレビに映る動物たちを見るときだけは表情が和らぎ、穏やかな様子になるのだそうです。
そこで家族は「猫を飼うことで症状が改善するかもしれない」と考えました。しかし、義父さんは動物が苦手で、ペット禁止の公営住宅に住んでおられたこともあり、猫に触ったこともない人でした。一方で義母さんは大の猫好きで、猫を飼うこと自体には賛成でしたが、新生活や家計の事情もあり、友人夫婦には不安が残っていました。
私はこの話を聞き、「試しにキャンティを飼ってみてほしい」と提案しました。そして後日、車で2時間かけてキャンティとオス猫2匹を連れて行き、キャンティだけを友人宅に残して帰りました。「とにかく飼ってみて!それで1カ月後にどうするか決めて」と友人には伝えました。なかなかのお節介ではありますが、私にとっても親友にキャンティを飼ってもらえるのであれば安心です。そして、キャンティは「猫が1匹のおうち」で大事に飼ってもらう方が向いている猫だと思ったのでした。
それから1カ月間、キャンティは友人家族と過ごし、家族はその愛らしさに夢中になりました。キャンティもオス猫がいない環境で穏やかに過ごし、家族全員から優しくされて楽しい毎日のようでした。ある夜、キャンティが1階のリビングに残され、人間たちが2階で眠りについた際、階段から「カン、カン、カン」という音が聞こえてきたそうです。見ると、彼女がネコジャラシを咥え、一段一段登ってきていたといいます。取り残されたと思って、誰かに遊んでほしかったのでしょう。
お義父さんも最初はキャンティに触れることすらできませんでしたが、少しずつ慣れ、最終的には膝に乗ったキャンティを撫でることができるようになりました。ほかの家族がキャンティを膝の上に載せてもすぐに降りてしまうのに、お義父さんの膝からは降りようとしなかったそうです。家族は「キャンティが何かを感じているのではないか」と不思議に思っていたそうです。しかし、お義父さんの病状は残念ながら進行し、たちまち施設に入ることとなりました。
1ヵ月後、友人はキャンティのことをどうするかとても悩んだようでしたが、私は猫はそんなにお金がかからないこと、もし病気になっても獣医師の私が責任を持つことを力説しました。そして、家族会議の結果、なんとかキャンティを飼ってもらうことになりました。友人には小さい子供がいましたので、私はキャンティのこれまでの写真をアルバムに貼り、なるべくひらがなで説明を書き、「キャンティアルバム、この続きは皆でお願いしますね。」といって渡しました。
キャンティは友人家族にとって大きな癒しになっていました。特に下の子である女の子は転校生だったため、最初は友達がいなかったものの、キャンティをきっかけに新しい友人を作ることができました。新しいお友達をおうちに招待してキャンティを紹介したのです。キャンティは誰にでも怒らずに触らせてくれたので、最終的にはクラス全員がキャンティのことを知っている状況になりました。
それから何年かして、今度はご主人が単身赴任することになりました。その時、彼はぽつりと、「キャンティ連れてっても良いかな…」と言ったそうです。ご主人は、帰宅が深夜になることもしばしばあるのですが、夜遅く家に帰ると、真っ暗になった家で、キャンティだけは起きて出迎えてくれ、お風呂から上がってソファでひとり麦茶を飲んでいると、膝に乗ってきてくれたそうです。そんなかわいいキャンティ、単身赴任に連れて行きたかったですよね。友人は即座に「何言ってるの!絶対ダメ!!」と強く拒否し、ほかの家族にも大反対されたそうですが…。
そんな、家族のみんなから愛されていたキャンティでしたが、4年前の11月15日、ついに16歳4カ月で天国に行ってしまいました。キャンティアルバムの続きについて友人に聞いた際、「ごめん、私達みんなそんなにマメじゃないんで、アルバムはそのままだわ」と言われました(涙)。それでもキャンティがもたらした時間の尊さは何物にも代えがたいものだったでしょう。そして、猫は性格によっては「猫が1匹のおうち」で大事に飼ってもらう方が向いている子もいるし、連れがいる方が向いている子もいますし、猫それぞれだということがわかるお話しでした。
◆小宮 みぎわ 獣医師/滋賀県近江八幡市「キャットクリニック ~犬も診ます~」代表。2003年より動物病院勤務。治療が困難な病気、慢性の病気などに対して、漢方治療や分子栄養学を取り入れた治療が有効な症例を経験し、これらの治療を積極的に行うため2019年4月に開院。慢性病のひとつである循環器病に関して、学会認定医を取得。