同じ病気だった兄の死を乗り越え「脊髄性筋萎縮症」と生きる日常を発信 重度障害者が自立できる社会へ…たかやさんの挑戦

古川 諭香 古川 諭香

「10代の頃は障害がある自分が嫌いで、元気な人が羨ましくて仕方なかった。でも、今は違う。相手を理解しようとすることを忘れない心が自分にはあるのは、障害のおかげ。それが人との繋がりを増やし、人生や世界が広がっていくので、病気の全てが悪いものという考えはなくなり、障害に感謝できるようにもなりました」

そう語る、たかやさんは脊髄の中にあり、筋肉を動かすために働く運動神経細胞が変化することで起きる「脊髄性筋萎縮症」と生きている。

自身の障害は、SNSで積極的に発信。当事者の声を届けることで、障害への理解が広がり、日本の福祉がよりよい方向へ向かうことを願っている。

「脊髄性筋萎縮症」を受け入れられなかった幼少期

脊髄性筋萎縮症は、必ず遺伝する病気ではない。両親がSMN1遺伝子に何らかの変化がある遺伝の情報を共にひとつ持っている場合、25%の確率で子どもに発症するといわれている。

たかやさん宅では、お兄さんが脊髄性筋萎縮症であった。たかやさんも同じ病気であることが分かったのは、1歳半くらいの頃。ひとり歩きができなかったため、病院で検査をしたところ、病名が分かった。

小学2年生までは普通学校へ通っていたが、クラスメイトの「なんで車椅子なの?」「なんで病気なの?」という子どもらしい質問が胸に刺さった。他の子のように立って歩いてみたい、体育に参加してみたいという気持ちがある中で、同級生から「ずっと座っているから楽でいいね」との悪気のないストレートな言葉言われると、自分だけ仲間外れのように感じ、自信がなくなっていった。

また、学校外でも他者の視線に悩まされたという。

「外出時、物珍しそうに見られたり、立ち止まってじっと見続けられたりしました。自分は悪者なのかと感じられるほど心ない視線が多く、人を避けるようになりました」

看護師の言葉に救われ、就労に悩んだ学生時代

このまま生きていてもいいんだろうか。そう自問自答する日々にピリオドを打てたのは高校生の頃。看護師からの温かい言葉が心に響いたのだ。

「目を見て『優しいたかやくんが素敵だよ。そのままでいいんだよ』と、僕のいいところを言い、肯定し続けてくれました」

障害があることで否定的な言葉を耳にしたり、生きる悲しみを感じたりしても、世の中には理解してくれる人がいるから大丈夫。そう思えるようになったたかやさんは、少しずつ前向きに生き始めた。

「10年経っても、その人が心の中で守ってくれている。永遠に感謝しています。僕も人を前向きにさせられるような存在になって、看護師さんからもらったバトンを誰かに渡すことが目標になりました」

だが、就活の時期、病気が進行。呼吸する筋肉が落ち、夜間には人工呼吸器が使用するようになった。体が思い通りにならず、動く左手で文字を書くことも上手くできなくない日々の中、たかやさんは就労を諦めた。

また、病気の進行で体力も減ったため、外出して体調を崩すことが怖く、家にこもるように。同い年の人と自身の生活を比較し、劣等感や無力感に苦しんだ。

だが、たかやさんは強かった。現実に打ちのめされるだけではなく、自分にできることを探しめたのだ。

「体調を第一に考えつつ、パソコンの勉強をし、4年かけてITパスポートの資格を取得しました。努力をし続けて色々な資格を取ったことで自信がつき、気持ちも前向きに。どんなことにも積極的に挑戦しようと思えるようになりました」

不思議なことに、心が元気になると体にも変化が。体力が少しずつつき、遠方にも出かけられるようになった。

気持ちで負けなければ、体も良いほうに向かう。自身の変化から、そう確信したたかやさんは「成長」を目標に掲げ、就労に挑戦。重度訪問介護従業者の養成研修や初任者研修の講師を務める傍ら、講演活動にも励むようになった。

「身近に難病の人がいない方にも、難病を抱えて生きている人がどんな生活をし、何に困っているかを知ってほしいと思い、発信を始めました。なるべく俯瞰して私生活や感情を伝えるように意識しています。障害を通して、当たり前のように思える日常がどれだけ幸せで大切なのかも伝えたいです」

重度障害者が自立できる支援体制づくりに奮闘中

現在、たかやさんが動かせる部位は左手首から指先、右手の指、首、口、目。左手の握力は1kgなく、パソコンやスマホを使うだけでも疲れてしまうそう。

背骨が左右に曲がった「側湾症」という状態であるため、自力で車椅子に座ることは難しい。車椅子上では特殊な支えをつけ、座位を保っている。

2年前、同じ病気のお兄さんが逝去した時には言葉に表せない悲しみや不安、恐怖に襲われたそう。だが、今ある幸せを感じ、悔いのない人生を送ろうと心の整理をつけた。

「周りの人と違うことで悲しい思いをしてきた人は、相手の痛みや悲しみが分かる人間になれる。人が辛い思いをしているのを分かる人は、優しい人間になれると思う。兄と同じ道を進むことは分かっているので、できることを精一杯やって社会貢献したいです」

そう語るたかやさんは、同じ病気を持つ人に「未来が真っ暗とは思わないでほしい」とエールを送る。

「元気な人と比較しないで、昨日の自分と今の自分を比べて生き、成長することを考えてほしい。障害があるから得られる“素敵な心”がある。諦めず少しずつ前に進んでいけば、障害があっても幸せは訪れ、未来が明るくなることを忘れないでほしいです」

なお、たかやさんは自身が自立までに3年近くの年月を費やしたことから、重度訪問介護が周知されて介護士が増えることを願っている。

「私はヘルパーさんのご支援が24時間365日ないと自立して生きることができませんが、日本の福祉は人手不足で、重度訪問介護のヘルパーさんを何十人も探すことが、とても大変です。また、新人ヘルパーさんが介助に入ってくださる場合は起床から就寝時までの介助を共有しなければならないので、気力と体力が必要です」

次の世代を生きる重度障害者が同じ経験をしないためにも支援体制が構築され、円滑に支援が受けられるような社会になってほしい。その想いが、たかやさんの原動力だ。

また、自身が断られることが多かったため、難病を持っていても住みたい物件で生活できるよう、重度障害者に対する不動産関係者の理解が広まることも願っている。

当事者が抱える課題とリアルな声を発信し続けるたかやさんの活動は、脊髄性筋萎縮症と生きる人の未来を明るくしていくはずだ。

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