帝王切開での出産時のお母さんを描いたイラストを通じて、賛否両論の意見がわきおこりました。
全裸で点滴、尿道カテーテル、着圧ソックスを着けた、帝王切開直前の女性の姿に、「私も緊急帝王切開で全裸になってトラウマ」「産婦への尊厳がない」「術前に説明受けたから納得済み」「恥ずかしいと言ってる場合じゃないのよ」という意見が。
また、「なぜ、帝王切開では全裸?」「全裸にならず帝王切開を行う病院もあるのでは?」という疑問の声も沸き起こりました。イラストを投稿した女性に、自身の帝王切開体験を聞くとともに、日本医科大学産婦人科・主任教授 鈴木俊治さんに帝王切開手術について取材しました。
帝王切開はラクな出産ではないことを伝えたくて
帝王切開は、逆子や双子などの出産、あるいはお産が順調に進まず、お母さんの体や赤ちゃんに危険が迫ったときなどにお母さんのお腹を切って赤ちゃんを取り出す開腹手術。お母さんと赤ちゃんの命を守るため、医師が帝王切開が必要であると判断し、行われます。
それをわかりやすく描いたイラストを投稿したのは、男の子を育てるcraft khepriさん(@craft_khepri)。投稿当時、「帝王切開を軽視する発言」が話題になっていたため、「こんなに非日常な体験なんですよ」ということを発信したいと思い、緊急帝王切開になったこと、術中や誕生直後のこと、麻酔が切れて子宮収縮に悶え苦しんだこと、傷口が痛かったことなど合計8枚のイラストをX(旧Twitter)にアップしました。
すると、術前の全裸が必要以上に注目され、あっという間に拡散。「思った以上に全裸に対するご意見が多く、驚きました。いろいろな意見を目にしましたが、私は医療現場に対する批判をしたかったのではありません。むしろ、医療従事者の方に対しては、現代の医療の力で子供と私の命を救ってくださったことに対して感謝しています」。
想定外の受け止められ方をされたことに戸惑ったそうで、「分娩時の状況については病院の方針やその時の緊急性などの状況によってさまざまでしょうから、あくまで“私の場合はこうだった”という説明を入れておけば、印象が変わったのかなと思っています。インパクトのあるイラストに対し嫌悪感を抱く方に対しては、配慮が足りなかったと反省しています」。
医療の力が母子の命を救ってくれたことに感謝
帝王切開には、あらかじめ日時を決めて行う「予定帝王切開」と、出産中に医師が状況判断する「緊急帝王切開」があります。craft khepriさんの場合、緊急帝王切開。普通分娩による出産を進めていましたが、胎児の心拍数が低下したため急遽変更。
すぐに点滴のための針を両腕に挿し、尿道カテーテルを挿入、着圧ソックスを着用後、車いすで陣痛室から分娩室へ向かいました。分娩室の中は看護師さんが準備のため、バタバタしている状態で、分娩室の入口で入院着を脱ぎ、数分間イラストの状態で立って待つことになりました。
「慌ただしい様子の看護師さんたちを眺めながら、しばらく茫然と立っていた私は“このシュールな自分の姿は記録に残しておきたい…!”と思ったんですよね。全裸だから恥ずかしいという気持ちはありませんでした。何しろ出産も帝王切開も初体験なので、こういうものなのかなと。もしかしたら、タオルなどを掛けてくださっていたのかもしれませんが、気づいていなかったかも」
帝王切開で赤ちゃんを取り出すことが決まった際、医師から赤ちゃんの命についての説明は受けたこと、お腹を縦に切るか横に切るかという質問があったことはおぼえていますが、全裸になることを説明された記憶はないと言います。「とにかく、急な展開でしたから、“安全に産める切り方でお願いします”とだけ伝えました。もしあの状況で全裸になることに対して説明されていたとしても“裸でもなんでもいいから赤ちゃんを助けてください”と答えていたと思います」と振り返ります。
分娩台に自らよじ登った後は、「緊張と麻酔のせいでひどく震えていた私に、看護師さんが“寒いですか?”と声をかけてくださったり、身体をさすってくださったり、気遣ってくださいました。手術後は、気づいたら陣痛室に戻っていて、いつの間にか入院着を着ていました」
「子どもというかけがえのない宝物のために、文字通り、身体を張って良かったと思っています」と話すcraft khepriさんですが、「事前にもっと帝王切開について知っておけばよかった」という後悔も。「私のイラストが、これから赤ちゃんを産む方の参考になれば嬉しいです」と話を締めくくりました。
脱衣での帝王切開は、お母さんと赤ちゃんの命を最優先ゆえ
craft khepriさんの帝王切開体験イラストレポに殺到した「全裸になったことがトラウマ」「何のために脱ぐの?」。それらの声は帝王切開の経験の有無に関わらずあり、経験者であっても明確な理由を把握していないようでした。また、病院によって、着衣・脱衣の違いがあるようなコメントもあり、混乱の声が挙がっていました。
帝王切開での出産における着衣の有無について、日本医科大学の鈴木俊治教授は「基本的に、帝王切開の場合、上にかける布(手術シート)の下での着衣はありません」。
その理由を「手術中の妊婦さんの血液汚染や感染予防、そして妊婦さんが安全な手術下の状態にいるかの観察のために脱衣の状態で手術を行います。着衣のまま手術を行うと、背中からの麻酔や手術前後の腟洗浄(帝王切開の感染予防に最も効果をもつ処置)、尿道カテーテルの挿入、血栓予防、その他の観察ができず、安全性の確保ができません」と解説します。
■帝王切開の段取り
<予定帝王切開>
手術室まで着衣で歩行
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手術台に着いた時にショーツ以外の服を脱ぐ。麻酔の悪影響が出ていないか観察するために胸に心電図を装着し、片手に血圧計をまく(反対の手には点滴)ためにブラは外す。
<緊急帝王切開、超緊急帝王切開>
ストレッチャー(寝台)で手術室へ移動することがある。
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手術室では、服を切断することもある。
<予定帝王切開、緊急帝王切開、超緊急帝王切開>
背中を大きく消毒後、腰の上の方の背骨のなかにある神経に麻酔注射(脊椎麻酔、状況によっては術後の痛みを軽減するための硬膜外麻酔カテーテル挿入)
※妊婦を眠らせる麻酔は、赤ちゃんにも麻酔薬が移行し、しばらく呼吸が止まった赤ちゃんが生まれてくる原因になるので、超緊急帝王切開でないと行わない。
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数分でほぼ完全に下半身が動かなくなる。看護師がショーツを脱がせ、医師または助産師が腟の中を消毒。自分で歩行や排尿できなくなり、また膀胱が尿で膨らむと赤ちゃんを出すときに傷つく可能性があるため、尿道にカテーテルを入れる。
足には、血栓(エコノミー症候群)予防のために弾性ストッキングやマッサージ器具を装着。麻酔で感覚がなくなるため、おかしな締め付け方をしていないか、看護師が皮膚色などを目視で観察。
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おなかを消毒し、手術を行う部分以外を清潔な布やカバーで覆う。胸は保温のためにタオルなどで覆う。開腹し、赤ちゃんを取り出す。
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助産師の手伝いのもとで誕生後の赤ちゃんをお母さんが抱っこし、おっぱいを吸ってもらうこともある。
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手術終了後、血だらけになったおなかや陰部のまわりを洗浄し、看護師が服を着せる。
「服は血だらけになり、おそらくその衣類は使い物にならなくなります。帝王切開ではお腹から血や羊水が平均1000ミリリットルくらい出てきますから。また、手術中は腟からの出血量(悪露の量)や尿の流出や色(傷つくと血尿になったりします)の観察が必要で、ショーツ着用のままでは、安全に手術が進んでいるかどうかの確認ができません。加えて、おなかのなかはもちろん、手術でできた傷の近くに着衣から菌が入ると腹腔内や子宮内の感染症の原因になったり、傷が膿んだりする原因になります」と着衣のままの帝王切開による危険性を指摘。
帝王切開中の医師や看護師、助産師は、おなかの中だけでなく、全身を観察しながら手術を進めていると説明します。
また、「ほとんどの病院では、着衣で手術台まで行ってもらうなど妊婦さんの恥ずかしい気持ちに十分配慮しています。麻酔の導入や、麻酔で感覚がなくなったりしたなどの段階をもって脱いでもらうか、あるいは脱がせていきます」。
「全裸だった」「着衣だった」などの相反する声があることについては、「途中から皮膚の感覚がなくなっていくことから、脱衣されたという感覚が不明だったのではないでしょうか?また、本当の緊急時は麻酔と並行して、麻酔が効いてくる前に、どんどん服を脱がせていくので、妊婦さんは脱衣の過程をより意識してしまった可能性はあります。一方で、着衣だったとおっしゃっている方は、施設の気遣いなどもあって、脱衣の感覚が低かったのではないかと考えます。手術終了後、感覚がないうちに着衣してくれることもあります」。
厚生労働省の『令和2年(2020)医療施設(静態・動態)調査・病院報告の概況』によると、総出生数およそ84万人のうち22.4%にあたる約19万人、妊婦さんの約5人に1人が帝王切開で出産。出生数は減少しているものの、帝王切開による出産は増加傾向で、この30年で倍近くになっています。
出産に携わる医療従事者にとって、脱衣での帝王切開は日常。しかし、妊婦や産婦にとって、出産および帝王切開は人生で数度しかない経験しない非日常。今回物議を招いたのは、両者の認識・知識・経験の違いも一因ではないでしょうか。
鈴木教授は言います。「今後、帝王切開での出産を行う女性やその家族、また過去の帝王切開手術に苦い思いを抱え続けている人もいると思います。脱衣は手術を安全に行うために必要なことだという認識が広まって欲しい」。
■craft khepriさん X @craft_khepri