人工呼吸器を付けほぼ寝たきり…「脊髄性筋萎縮症」25歳男性が始めた「ひとり暮らし」 病気があっても「生きたいように生きる」挑戦

古川 諭香 古川 諭香

1度きりの人生を、思いっきり楽しみたい。それは障害の有無に関係なく、誰もが抱く尊い願望だ。愛媛県在住のウッディさん(25)も、そのひとり。ウッディさんは脊髄前角にある運動神経細胞の変性により、筋力低下や筋萎縮が見られる「脊髄性筋萎縮症」。ほぼ寝たきりで、人工呼吸器を装着しながら生活している。

動かせるのは右手の指先のみ。だが、その指先を使って、ウッディさんはネットの世界で人と繋がりを増やし、人生をより豊かにしようと奮闘中だ。

1歳を過ぎた頃に「脊髄性筋萎縮症」が判明

1歳を過ぎた頃、つかまり立ちはするものの、なかなか歩こうとしなかったため、両親はウッディさんを連れ、病院へ。すると、専門病院を紹介され、脊髄性筋萎縮症であることが判明した。

小学校3年生までは地元の普通学校に通っていたが、体調を崩したことから、隣県の病院に入院。小4からは病院の隣にある養護学校へ車椅子で通学し始めた。

成長期である中高生の時期は一番骨が曲がりやすかったが、ウッディさんは積極的に学校生活を満喫。中学校では生徒会役員になり、高校では生徒会長を務めた。

体が曲がった状態で車椅子に乗ると、頭の重みが腰や背中にかかり、痛みが生じる。そんな日常の中でもウッディさんは前向きだった。

「自分が気になることだけ考えればいい、曲がってきたら、その時に考えればいいと思っていました」

脊髄性筋萎縮症は現在の医学では根治が難しく、薬やリハビリで病気の進行を遅らせる治療法が一般的。しかし、その一方で、近年では新薬が3種類も承認されるなど、明るいニュースも多い。

ウッディさんはリハビリ治療を選択し、筋力の低下を抑えている。

「高校生の頃に新薬が登場しましたが、それを使っても歩けるようになるわけではないと思ったし、治療のためには入院が必要だったので、僕はそこに時間を使うよりも、その時の自分がやりたいことに時間を使いたかったので、リハビリ治療を続けました」

親子関係に悩んでひとり暮らしの準備をスタート

ウッディさんが入院先から実家に戻ってきたのは、高校卒業後のこと。19歳から21歳の頃には障害者雇用枠で、リモートワークの事務職に就いた。

そんな日常の中で強くなっていったのが、幼い頃から抱いていた、ひとり暮らしへの憧れ。

「うちは離婚していて父親のみなのですが、長い間、別々に暮らしていたので実家に戻った時、ライフスタイルの違いからぶつかって苦しかったのも、ひとり暮らしを考えた大きな理由でした」

ギクシャクする親子仲や好きな時間に友人を招いたり、話したりすることが難しい生活に苦しんだ結果、ウッディさんは新生活をシミュレーションしながら、慎重にひとり暮らしの準備をし始めた。

「病気が進行してきて、体力も落ちる中、このタイミングならひとり暮らしができ、新生活後もやりたいことができると思えた時期に動き始めました」

家を出たいという意志を父親に直接伝えることは勇気がいった。そこで手紙をしたため、自分の意志を表示。すると、父親は「やりたいようにやればいい」と背中を押してくれた。

2年越しの目標だった「ひとり暮らし」を実行

2023年、ウッディさんは2年越しの目標であった「ひとり暮らし」を叶えた。ヘルパーや訪問看護師、父親の手を借りる時はあるものの、スマートスピーカーを活用し、ひとりでできることを増やしている。

「スマートスピーカーを使えば介助者がいない時でも、玄関のドアやテレビ、エアコンを操作できます。今の時代だからこそ使える術。こうした工夫ができると思えたことも、ひとり暮らしを決断した大きな理由でした」

ほどよい距離ができたことで、親子仲は良好に。ひとりなのだから、しっかりしなければ、と気を張ることはあるものの夜中に友人を招いたり、好きな時間に自由な話が友人とできるようになったりし、心が楽になった。

「『絶対この時にやらないとやれない』じゃなくて、体調やタイミングを考慮してやりたいことができるようになりました。実家にいた頃より、人と触れ合う時間が増えて嬉しい」

そう語るウッディさんは、自身の病気をSNSで積極的に発信。ひとり暮らしを始めたときは、「僕は病気に人生を左右はされない 病気があってもやりたいように 生きたいように生きる」との思いを投稿していた。

現在は障害者雇用枠で働くことが難しいため、障害者年金で生活しているが、自分の力で収入を得たいとの思いから、YouTubeライブを行い、収益化を目指している。

「意見を発信する時は、自分が感じた気持ちと健常者側の感覚の両方を大事にしています。実は結構、叩かれるだろうなと覚悟していたのですが、応援してくれる人が大半で優しい世界だと感じました」

欲しいのは支援者よりも「一緒に歩いてくれる仲間」

実はウッディさん、昔から障害者より健常者の友人・知人と多く関わってきたため、自分に病気があるという事実をあまり気にしていない。豊かな人生を追い求める中では、一緒に歩いてくれる人がいてくれることの嬉しさを痛感してきた。

「僕は自分の病気に対する理解は、あまり重視していません。周囲から来てくれるのを待つのではなく、自分からできること・できないことを伝えることが大事だと思っているので。それよりも、自分がやりたいことを一緒に楽しんでくれる人が増えたら嬉しいです」

「支援」だと、支える側が何歩か前に進む必要があるが、失敗すら一緒に経験できる横並びの仲間が欲しい。それがウッディさんの願いだ。

「障害者だって、自分の人生に対する責任はある。誰かと一緒に失敗しても、自分が決めたことなら、それでいいと思う。やりたいと本気で思った時、一緒に歩いてくれる人がどれだけいるかに、人生の充実度は左右されるんじゃないかなと思います」

そう語るウッディさんはやりたいことを思い浮かべると条件反射で諦めがついてきていた、かつての自分を振り返りつつ、同じ病気と生きる仲間やその家族に対し、力強いメッセージを贈る。

「ちょっとでも変わりたいと思うのなら、色んな人と出会ってほしい。自分のことを分かってくれる相手だけじゃなくて、自分のことを知らない人との繋がりも持ってほしい。そうすれば、できそうに思えることが増えたり、考え方が変わったりすることもあるから。色々な人との繋がりを持っておくと、人生が変わるきっかけが多くなると思います」

そのアドバイスは、ウッディさん自身の経験から得たもの。実はウッディさんが自分の持つ可能性の大きさに気づけたのは高校の時、色々なことに挑戦させてくれた先生との出会いがあったからだ。

「お前は勉強より人前に出るほうを頑張れと、ガツガツ引っ張ってくれました(笑)先生は客観的に見て、できるかもしれないと思えたから任せてくれた。自分ではできないと思っていることも周囲から見れば、違う見え方になる可能性があることを知りました」

自分であることを漫喫するウッディさんの挑戦は同じ病気を持つ人の背中を押しそうだが、本人は、そこに重点を置いてはいない。

「もちろん、誰かのためになるのはいいことだけれど、自分がやりたいことや正しいと思ってやってきたことを、たまたま誰かが見ていて役に立つくらいでいいかなと思っています」

誰かのための人生ではなく、自分がより笑顔になれる道を探求しつづけるウッディさん。人の心動かす彼の挑戦は、まだまだ続いていく。

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