「共産主義のユートピアをつくろう」大戦後、数奇な運命をたどったチェコ郊外の街 観光客ゼロのポルバ地区を歩いた

新田 浩之 新田 浩之

世界にはまだまだ観光客に知られていない、ちょっと変わった建物がたくさんあります。チェコ・オストラヴァにあるポルバ地区もそのひとつです。

ここは第二次世界大戦後の共産主義時代に壮麗かつ威圧的な建築物が次々と建てられました。言うなればポルバ地区は共産主義体制が目指したユートピアという感じでしょうか。

現在、ポルバ地区は「共産主義政権の貴重な遺産」として、研究者を中心に注目されつつあります。とは言っても、観光客にはまったく知られていません。そこで、実際にグーグルマップ片手に観光客ゼロのポルバ地区を訪れました。

「資本主義に毒された地区」を断罪したポルバ地区

 

最初にポルバ地区の歴史を紹介しましょう。ポルバ地区はチェコ北東部の主要都市、オストラヴァ市内にあります。オストラヴァ中央駅からですと、路面電車で約30分ほどです。

オストラヴァは産業都市と知られ、ヴィートコヴィツェ製鉄所をはじめに鉄生産に力を入れていました。戦前は市内中心部に多くのドイツ人が住み、19世紀末から20世紀初頭にかけてアールヌーボー建築やモダニズム建築が普及しました。

第二次世界大戦後、チェコはスロバキアと再び組み、共産主義体制になりました。共産党はドイツ人を追放し、市内中心部を「資本主義に毒された地区」と断罪。その代わりに、共産主義のユートピア「新しいオストラヴァ」の建設を目指しました。それが郊外に建設された新地区、ポルバ地区です。

ポルバ地区の住民の大半はヴィートコヴィツェ製鉄所の労働者でした。他地区と比較すると若年層が多く、「ユートピア」というより単に「寝るだけの場所」だったようです。

ロシアをモデルとした巨大アパート「オブロウク」

市内中心部から路線バスに乗り、ポルバ地区に着きました。バスから降りると、広い道路、横長の威圧的な建物、合理的な都市設計が目につきます。これらの合理的な都市デザインはポルバ地区のオリジナルというよりかは共産主義体制下の街づくりの特徴です。

少し歩いてみると、ギリシャ建築や凱旋門のようなアパートを見つけました。過去の歴史を否定しがちな共産主義体制のユートピアといいながら、古典様式も取り入れているあたりが、少し奇妙に映ります。

さて、ポルバ地区の目玉がアーチ状の巨大アパート「オブロウク」です。巨大な半円になっており、とても全景をカメラに収めることはできません。中央は凱旋門のようなデザインで、上部には労働者のモニュメントがあります。

「オブロウク」全体のデザインのモデルは19世紀前半のロシア・サンクトペテルブルクにある宮殿広場の旧参謀局です。このあたりはチェコスロバキアとソビエト連邦の力関係が垣間見られます。

ところで尖塔をよく見ると、チェスキー・クルムロフの建築物と少し似ています。実は共産主義体制下の建築物は共産主義リアリズムを基本としつつも、民族的なモチーフを飾りとして利用する例がよく見られます。「オブロウク」もこの例に従ったと考えられます。

このように「オブロウク」は大変ユニークな建築物ですが、筆者が訪れた時は解説文を記したパネルはなく、日常生活に溶け込んでいました。

スターリンの死去により終わった壮麗な建築物

しかし、壮麗な共産主義的な建築物の歴史は長くは続きませんでした。1953年にソ連の独裁者、共産主義国家の間では「神」だったスターリンが死去。1956年に後任のフルシチョフによるスターリン批判に関連して、ポルバ地区のような壮麗な建築物が否定されることに。以降、安価なプレハブアパートが次々と建設されました。

ポルバ地区以外にもポーランド・クラクフのノヴァ・フタ地区やドイツ・ベルリンのカール・マルクス・アレーなど共産主義時代の壮麗な建築物があります。建築物と現代史という興味深い関係をあなたも探ってみませんか。

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