「うどん県」ならぬ「うどん町」が京都にあった 祭事や冠婚葬祭、専用の皿まで…あらゆる場面で愛されるワケ

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 「うどん県」と言えば讃岐うどんの香川県が思い浮かぶだろう。実は、京都府北部には「うどん町」が存在する。それは丹後ちりめんで有名な与謝野町。祭事や冠婚葬祭、あらゆる場面でうどんを食べ、家庭には専用の皿もある。織物業の盛んな町で絹の様につるつるのうどんが愛される理由を探った。

 8月20日夕、同町算所で4年ぶりに地区の夏祭りが催され、多くの家族連れでにぎわっていた。テントでは唐揚げや焼きそばが香りを漂わせる横で、うどん玉の入ったせいろが積まれていた。交換チケットを手にした客が絶え間なく訪れ、用意された300玉は瞬く間に消えた。

 注文が入ると、器に入ったうどんとネギ、かまぼこの上からやかんに入っただし汁がぶっかけられる。談笑しながら立ち食いする人あり、容器を持参して持ち帰る人あり。家族で味わった加悦小3年の女子児童(8)は「もちもちで、汁がひんやりしておいしかった」と笑顔をみせた。

 麺は中太で表面がつるつる。こしの強い讃岐や、やわやわな京都市のうどんとは一線を画す。柔らかいがぷりっと弾力があり、サクサクしたネギと相性が良い。きりっとしただし汁が汗をかいた体にうれしく、ぐいぐい飲める。あっという間に平らげてしまった。

 同町では祭りや飲み会、清掃活動と、何かとうどんを食べる。地区運動会では昼食と慰労会で2度食べるほどだ。会社員の赤西和幸さん(54)=同町算所=は「テニスの大会でもうどんが出ます。炭水化物としょっぱい汁が運動後の体にちょうど良い」と太鼓判を押す。

 行事に限らず日常でも食される。地元のスーパーにしがき石川店(同町石川)でも、ゆで麺や生麺をはじめ、油揚げとネギ、かまぼこがセットになったパックがずらりと並ぶ。日配品担当の百(もも)鳥悟さん(61)は「うどんの仕入れは地元製麺所が8割で、売れるのもほぼ地元麺。生麺は土産品に人気で、暑い夏場はパックが午前中に売り切れます」。

 与謝野といえば丹後ちりめんのイメージが強い。その一方でなぜ、こんなにうどん文化が根付いたのだろう。機織りの最盛期、職人が手軽に昼食を取れ、定着したという通説があるが、果たして-。

 祭りのうどんを製造した尾上製粉所(同町算所)の尾上実さん(80)に聞いてみると「さぁ、みんな好きなものを好んで食べているからじゃないかな」と苦笑しつつ「父親の時代は小麦の栽培が盛んで、うちも粉の製粉を引き受けていた。昔は自宅に大釜があり、よくうどんがゆでられていた」とぼそり。

 続いて、「丹後〆うどん」と題する論文を発表した町教育委員会社会教育課の加藤晴彦主幹を尋ねると「耕地面積が広い同町石川の地区内でコメと麦の二毛作が盛んに行われ、収穫した小麦の消費方法としてうどんが定着していった」と教えてくれた。

 どうやら「二毛作」が鍵のようだ。

 同地区の公民館では2012年から地元住民が週1回、「石川姫うどん」をこしらえている。担当する塩見勲さん(76)不二江さん(76)夫婦を尋ねると「戦中戦後の食糧難の時は稲作の後に小麦がたくさん栽培されていたそうです」と説明してくれた。かつて地区内にも2軒の製粉所があり、住民がうどん打ちのために小麦の製粉を依頼していたという。

 1960年代に安価な輸入小麦が流通すると、麦畑が減り石川のうどんは一時姿を消した。だが「懐かしのうどんを」と、試作を重ねて12年に復活したのだ。

 今では毎週火曜、生麺500グラム24パックが販売されている。夏は細麺、春秋は中太、冬は鍋にも使える太麺と、季節で麺の太さが変わる。草刈りや地域の見回りの参加者にも贈られ「うどんの効果か、みんな気張ってくれます」と区長が笑った。地元の石川小の児童に向け、うどんの製造過程と実食を通じ、歴史を伝える活動にも力を入れている。

 与謝野のうどん文化を語る上で欠かせないのが「うどん皿」だ。「うちには10皿1セットでありました」。菊水食品(同町下山田)で長年、製麺を担当している武田康夫さん(64)が店舗に持参してくれた。

直径15センチ高さ5センチと底が浅いのが特徴だ。「盆や正月に親戚が集まり、丹後ばらずしと一緒に食べるのが定番。おもてなしの道具だったのかも」と推し量る。今ではプラスチック容器が主流だが、皿が食器棚に眠っている家庭は少なくない。

 伝統のうどん文化に、新風も吹いている。

 同町弓木で織物の取次業を営んでいる廣野秀和さん(56)は12年9月に副業としてうどんやパスタの生麺を手がける「へじや製麺」を始めた。本業の空き時間に自宅でできる商売との狙いと、幼少期から慣れ親しんだうどんで挑戦しようとの思いが動機だ。

 廣野さんも幼少期、うどん皿を持参して子ども会の行事で競って食べた。「お使いで買いに行った時も、うどん玉をだしも付けずにつまみ食いしていました。甘くておいしかった」と顔をほころばせる。

 中太のゆで麺が主流な土地柄にあって「独自色を」と、こしが強い太麺を提供する。「ゆでたてを食べてほしい」と廣野さん。ランチも提供しており、モチモチと食べ応えのあるぶっかけと天ぷらが味わえる。

 お隣の京丹後市でも、食卓にうどんは欠かせない。

 同町大宮町上常吉には地名にちなみ「つねよしのうどん」で親しまれている小塚製麺がある。8年前に田中佳士さん(36)未紗さん(37)夫婦がUIターンをして、日々、従業員とともにうどん作りに精を出している。未紗さんの父親で、2代目の社長から、麺打ちなど仕事の8割を佳士さんが引き継いでいる。

 同社に務めるまでは、大阪で営業マンだったという佳士さん。「やり方も分からず、休みもなく、何度もやめたいと思いましたよ」と笑う。それでも、客から「本気のおいしい」を聞く度、うれしくて続けてこられたという。

 中華麺やそばなど種類が豊富な同社にあって、うどんは8割をしめる主力製品だ。さらに「これからはもっと手軽さが必要」と、調整麺のバリエーションを増やした。油揚げやとろろ付きといった従来のタイプから、大根おろしや温玉付きが登場した。

 えりすぐりの小麦粉をブレンドし、磯砂山から流れるきれいな水で仕上げたうどんが自慢だ。「これからもこだわりを持ち続けたい」と佳士さんは前を見据えた。

 3年間の新型コロナウイルス禍を経て、町の行事が復活し、うどんの注文も戻っている。イベントごとに150~300玉の注文が入り、参加者の胃袋を満たす。うどんは町の元気を現している。

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