『ビバ!タカラジェンヌ』パーソナリティ・小山乃里子さん卒業 番組の顔として43年 27日にフィナーレ

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 名物パーソナリティが卒業の日を迎える。『ビバ!タカラジェンヌ』(ラジオ関西、月曜午後8時~)の小山乃里子さんだ。23日、担当最終回(27日放送)の収録が行われた。番組を担って43年。その長き道のりには、数多くのタカラジェンヌとの絆があった。最後の収録を終えた小山さんに話を聞いた。

 小山さんは北海道出身。関西学院大学文学部を卒業後、1965年にアナウンサーとしてラジオ関西に入社し、71年にフリーとしてのキャリアをスタートした。「ノコさん」の愛称で親しまれている。

『ビバ!~』は、宝塚歌劇団のスターと小山さんのトークを軸に展開する番組で、放送初回のゲストは汀夏子さんだった。以降、春日野八千代さん、榛名由梨さん、麻美れいさん、大地真央さんら歴代のスターが出演。現役のタカラジェンヌのリアルな声を、時に、上演中の公演の音源を交えながら届け続けている。

 1990年代後半から2000年代初頭には、信越放送(長野県)や静岡放送など全国各局でも放送された。出身地の静岡で聴いていたという、元花組トップスターで、現在俳優として活躍する明日海りおさんは、番組プレゼントのチケットで観劇したのをきっかけに宝塚歌劇団を志したことを公言している。

 小山さんが『ビバ!~』を担当することになったきっかけは、鳳蘭さんとの出会いだった。じつは当時、小山さんは宝塚歌劇にあまり興味を持っていなかったそう。それが、番組ディレクターとともに劇場へ足を運ぶうち「だんだん友達も増えて、徐々にのめりこんでいった」と明かした。

 放送開始以降、小山さんは、自身が神戸市議会議員に立候補した際の選挙中に休んだ以外、議員在職中(1995年~99年)も番組への出演を続けた。ちなみに、小山さんが休んだ間の代役を務めたのは、古代みず希さん(当時雪組)だったという。

 乗り越えた壁もあった。

 1995年の阪神・淡路大震災では、宝塚大劇場周辺も打撃を受けた。小山さんは「番組を休んだ覚えはない」と記憶を呼び起こしつつ、「花のみち(宝塚大劇場前の通り)のお店が心配で、一人で訪れたら『ノコさ~ん!』て(タカラ)ジェンヌが走ってきて。『大丈夫だった?』『大丈夫』と。お店の女将さんも『生きてたか』と」と、互いの無事に感謝したと話す。

 さらに「(代替会場となった)梅芸(大阪・梅田芸術劇場、当時 劇場飛天)の時は、「(元宝塚劇団理事長・小林)公平さんに出ていただくなどして必死につないでた」と、当時を振り返った。

 新型コロナが猛威を振るった時期も、公演の中止が相次いだり、現役タカラジェンヌへの取材ができなかったりと苦悩が続いた。リスナーへ届けるためにと、OGゲスト回や劇中歌へのリクエスト特集が誕生。番組が、よりバラエティに富む内容となった。リスナーは全国に拡大している。ラジコの普及もあり、北は北海道、南は沖縄まで。おたよりも毎週100通ほど届くという。

 全国でも“特別”なこの番組に携わった43年間。続けられた原動力を小山さんに尋ねると、「う~ん」と深く考えたのち、「どんどん、どんどんタカラヅカを好きになって……それが一番かな。それと、嫌な人(タカラジェンヌ)が一人もいなかった。『タカラジェンヌを支えたい、応援しよう』っていう気持ちが強かった」。心の底からあふれるものを抑えきれない様子だった。

 その上で、思いをかみ締めるように明かした。

 元トップスターが、泣きながらつらい心情をさらけ出してくれたことがあった。松あきらさん(元花組トップスター)が、小山さん出演のトークショーに駆け付け「ノコさんに掛けられたひと言が忘れられないんです。それで立ち直りました」と打ち明けてくれた……。

 一時代を築いたスターたちが、小山さんに垣間見せる素顔。それこそ、“ノコさん”が築き上げてきた絆、人としてタカラジェンヌと向き合ってきた証しだ。

 タカラヅカと全国のファンの架け橋となってきた小山さんの担当最終回は27日(月)に放送。リクエスト特集で、小山さん自身の口から数々のスターとのエピソードが語られる。

「こんなに長く続くと思っていなかった。(歴代)ディレクターのおかげ」と話す小山さん。4月からは、タレントの木村三恵さんが、そのバトンを引き継ぐ。 43年にわたるロングラン。27日のフィナーレでは、届けられる最後の1曲に思いを重ねるファンも、きっと多いことだろう。

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