「なんでやねん」。関東出身の人が発音すると「な」にアクセントが来て、おかしくなりがち―。映画やドラマの制作現場で、こうした違和感のある大阪弁を修正する「大阪ことば指導者」という職業があります。自身も役者として活躍する一木美貴子さん(60)=兵庫県。NHK連続テレビ小説などで名だたる俳優陣を指導してきた中で、印象的だったのはどんな人?そもそも方言指導者ってどんな仕事?今秋放送開始の朝ドラ「ブギウギ」の稽古も始まる中、舞台裏を聞いてみました。
「〇〇に行かんくて」は“現代的な大阪弁”
一木さんの仕事は台本チェックから始まります。修正で多いのは、時代設定が古いのに現代的な大阪弁になっている例です。例えば「〇〇には行かず結局〇〇した」という場合。現代の若者の話し言葉では、「〇〇には行かんくて」などと表現するのが一般的ですが、物語の舞台が昭和であれば「行かへんで」や「行かなんで」「行かんで」とした方が自然になるといいます。
正確性が求められる一方、しゃくし定規でも駄目。全国放送の作品であまりに知られていない方言を出すと、物語を楽しむ上で邪魔になってしまいます。ちょうどいい落としどころを見定めるのも技術のうち。「これ当時の大阪弁で言ったら伝わらんな…。ほなここは標準語で妥協しよう、という具合です」
標準語の発音は無意識に濁点を消している?
一木さんが肌身離さず持ち歩くのが、「大阪ことば事典」と「大阪のことば地図」。大阪弁の発音や地域ごとの特徴について記した2冊は、脚本の細かな修正に欠かせません。
「あなた」と呼ぶせりふ一つでも、お前、あんた、おまはん、自分…などさまざまな選択肢があります。迷った時は登場人物の設定やイメージを制作スタッフとすりあわせながら、「泉州(大阪の南部)出身の人だから『ワレ』にしよう」と当てはめていくそうです。
俳優が練習できるよう、せりふを録音して提供するのも重要な仕事です。発音のこつとしてよく伝えるのが、無声化をしないこと。「タクシー」を「タッシー」、「ネクタイ」を「ネッタイ」などと「っ」の促音を用いず、1音ずつはっきり発音すると大阪弁らしくなります。
また、本来の大阪弁にはない「鼻濁音(びだくおん)」も注意が必要だとか。例えば「かがみ」と言う時、標準語話者は無意識に2文字目の「が」の濁点を消し、鼻にかかるようにして発音していることが多いのです。一定の条件で発生する鼻濁音は伝統的な大阪弁にはない現象で、だからこそ「ガ」や「グ」をはっきり発音するだけで、一気にコテコテ感が増すそうです。
書き込みで真っ黒になった台本
一木さんは堺市生まれ、枚方市育ちの生粋の「大阪人」。18歳で演劇の養成所に入り、大学卒業後に役者デビューしました。その後は大阪を拠点に演劇などで活躍。「必殺シリーズ」などに出演した表淳夫さんや西園寺章雄さんらとの共演が礎になっています。大阪の言葉を熱心に研究する先輩に影響を受け、書籍や映像を通じて正しい発音を学んできました。
自身の演技でも発揮していたところ、指導をしてほしいという話が舞い込んできました。2009年のNHKドラマ「浪花の華~緒方洪庵事件帳~」で、蟹江敬三さんの方言指導を初めて手がけます。東京出身にもかかわらず、完璧に大阪弁をものにしていた蟹江さんの台本を見ると、言葉の抑揚を覚えるための記号や線がびっしりと書き込まれ、真っ黒になっていました。
「俺たちも毎日がオーディションみたいなもんだからさ、手が抜けないんだよね」。蟹江さんほどのキャリアの持ち主がそう言ったことが印象的だったそうです。
その後、「まんぷく」「べっぴん」「マッサン」「ごちそうさん」「純と愛」などで方言指導を担当しました。
松坂慶子さんの驚異的な集中力
「まんぷく」(18、19年)では、10カ月以上現場に張り付きました。ヒロインの母親を演じた松坂慶子さんは、長い時で3時間以上せりふを反復練習。付き添う一木さんが「ちょっと休憩しませんか」と促すほどの集中力で、めきめきと上達していきました。
ドラマ版の「みをつくし料理帖」(12年)では、神戸市出身の北川景子さんの希望で指導を担いました。関西弁を話す機会が減ったことに不安を感じていたようですが、発音は何の問題もなかったそうです。「大丈夫や!それで合ってるで!って言うのが私の仕事でした」と笑います。
真剣に演技に向き合う役者をサポートできることにやりがいを感じる、という一木さん。「こう表現したい」という思いを同業者としてくみ取り、寄り添いながら指導します。
「変な方言を話して批判されるのは役者さん本人ですから。できることは全部して、その人の良さが一番出る言葉遣いに持っていきたい」。何よりも「担当した役者さんが視聴者に愛されてほしい」と願っています。
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一木美貴子さんが方言指導、出演した映画「みをつくし料理帖」(20年)の上映イベントが10日、兵庫県の三田市総合文化センター・郷の音ホールで開かれます。一木さんのミニトークショーも開催。
映画は、宝塚市出身の作家高田郁さんのベストセラー小説が原作。「セーラー服と機関銃」「犬神家の一族」などで知られる映画プロデューサー・監督の角川春樹さんが「人生最後の監督作」と公言してメガホンを取り、石坂浩二さんや浅野温子さん、薬師丸ひろ子さんら豪華な面々が出演。江戸時代を舞台に、料理人として身を立てていく大阪出身の澪(松本穂香さん)と、幼い時に生き別れて吉原の花魁(おいらん)となった野江(奈緒さん)の友情を描きます。午前10時半開演の1回目は上映後にトークショーがあり、午後2時開演の2回目はトークショーの後に上映。一般千円。チケット購入は同ホールのホームページ(https://sanda-bunka.jp/event/detail/8278/)から。