最後まで観る?観ない?…映画の「エンドクレジット」めぐり論争 時には10分近くの長さ「経理やケータリングのシェフの名前まで紹介」

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映画ファンなら1度は目にしたことがあるだろう、エンドクレジット(スタッフロール)を巡る論争に再び熱がこもっている。きっかけとなったのは、映画ライター・小玉大輔さんのこちらのツイート。

「今の映画のエンドクレジット、最後まで付き合う必要があるのか?」と思うのです。正直、ケータリングのシェフや経理の名前なんか知っても仕方ないんだから、昔の超大作で「退場曲」が流れた時みたいに音楽聴きながら席立ちゃいいんじゃないのかと。」

投稿から約1週間で1300件以上のリツイート(2023年2月21日現在)。それもそのはず、今では大作映画のエンドクレジットは8~9分かかるのは当たり前という長尺だ。監督や撮影監督などの名前だけでなく、「経理」や「ケータリング担当のシェフ」の名前まで含まれる場合もある。

このツイートには「スタッフロールに映画の余韻なんて感じません」「流れていくクレジットをけっこう一所懸命に見てるから、前を横切らないで欲しいなあ。」「まだ観てる他の人の迷惑にならないように勝手に帰ればいいと思う」などと様々なコメントが寄せられた。「経理の人や、シェフの職業を軽視している」と、一部からは強めの批判まで飛び交っているこの問題。渦中の小玉さんに発言の真意を聞いた。

エンドクレジットを静かに観るのは日本特有?

――すさまじい勢いで拡散されて、議論を呼んでいますね。

小玉 意図せず燃え広がってしまいました。僕は映画ライターとしての習慣もあり、情報としてロケ地や機材、使用楽曲などを知りたいからエンドクレジットは最後まで観ています。ただ9分もあるエンドクレジットはさすがに長いと感じたんです。かっこつけるわけではないが、エンドクレジットを観る意味、観せる意味をもう1度考え直してみようという、問題提起のつもりです。

――暗いと席を立ちづらいし、マナーとも言われるので最後まで観ていましたが、確かに「長いな」と感じることはあります。

小玉 長いと感じるなら、どうしてそれを観ているのかという話なんです。暗いから立ちづらいというのは、ある意味で「立つな」と強いられているということにもなります。クレジットは作り手への敬意という意見もあります。もちろん作り手もできれば観てほしいとは思っているだろうけど、観ることを強制するような意図はないと思います。

実際、海外の映画館だと本編が終わると劇場は明るくなってお客さんはどんどん出ていくんです。日本でも今の入れ替え制になる前は、エンドクレジットが流れると出ていく人と入ってくる人が交錯していましたし、三本立て上映をする一部の映画館ではエンドクジット上映を途中で止めるようなこともしていました。

誰もが尊重しあえる映画文化へ希望を込めて

――そもそもエンドクレジットってどういう経緯で生まれたものなんでしょう?

小玉 昔は映画の作り手が映画会社の社員でした。だから名前は出す必要がなかった。けれど作り手がフリースタッフになっていったことで、実績や成果を示すものとして名前を載せる必要性が生まれました。最初は30秒とか1分くらいでしたね。それが70年代半ばになって4分くらいになりました。聞いた話では、製作に関わった人たちを雑に扱っていないことをしっかりと示す意味合いもあるそうです。そのためにクレジットが長くなっていったのです。映画に関わる特定の職業を軽視するつもりはありません。ただエンドクレジットに興味がない人からすれば、監督だろうとケータリングのシェフだろうと知りたくないのは一緒だと思います。

――映画製作の歴史とも関わっているわけですね。ただやっぱり、興味がないとはいえ静かで暗いなか立ち上がって退場するのは勇気がいります。エンドクレジットをなんとか楽しめる方法ってないものでしょうか?

小玉 エンドクレジットを最後まで見せたいのならその楽しみ方を伝えるのは作り手と劇場の仕事ではないかと。なんとなくできている「出られない・出ちゃいけない」や「エンドクレジットを観なきゃいけない」というような空気についても、1度考え直してみていいと思います。たとえばエンドクレジットになったら予告編のときのように少し劇場を明るくしたりする動きは、実際に海外であったりします。できるかどうかはともかく、エンドクレジットを観る人と観ない人で列を分けたりしてもいい。

名前が流れるだけのエンドクレジットに興味がないという人は映画ファンじゃない、と切り捨てるようなことは僕にはできません。観たい人の邪魔をするなとよく言われていますが、それって逆に言えば出たい人がいるのにいつまでも座って邪魔をするな、にもなるんじゃないですか。

エンドクレジットはいらないと言いたいわけでもありません。ただ長さにも限度はある。今のエンドクレジットは、昔でいうところの退場曲のように考えてもいいのではないかとも思います。観せること・観ることをもう1度考え直して、観る人と観ない人の双方が尊重しあえるようになって欲しいんです。

   ◇   ◇

【小玉大輔さん】
Twitter上のスペースにて月1度の映画討論「#コダマ会」を開催中。2月24日はこのエンドクレジット論争をテーマに議論を交わす。
▽Twitter
https://twitter.com/eigaoh2

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