2月3日は節分。節分は鬼に扮した人や屋内に向かって豆をまき、災いを追い出して福を招くという伝統の行事。慣例に従って、なんとなく豆まきをしている人も多いだろうが、なぜ2月に豆をまくのだろうか。島根県立大民俗学研究室の中野洋平准教授に、豆まきの由来や目的を聞いた。
▽豆まきの由来は?
節分の行事にはどのような由来があるのか。中野准教授は「節分を知るためにはまず、暦を知る必要がある」と説明した。
節分は1年を24の季節に分けた「二十四節気」の立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日を指す。「節分」といえば2月3日が頭に浮かぶが、実は年に4回あるということ。現在の日本で用いられている「太陽暦」では毎年2月4日が立春のため、2月3日が春の節分とされている。
なぜ2月の節分のみ、行事があるのか。中野准教授は「春の節分が正月と近いことがポイント」と話した。二十四節気では正月が過ぎると間もなく立春が来るため、旧暦を用いていた頃(明治初期まで)の日本では、節分の行事も一連の正月行事に含まれていた。
一年の豊作を願ったり、豊凶を占ったりする行事のほか、現代人にもなじみ深い「とんど焼き」や「七草がゆ」も正月行事に該当する。中野准教授は節分行事について「一連の正月行事の一つが年中行事として定着しているにすぎないため、多角的に考える必要がある」と説いた。
▽鬼を追い払うのはなぜ?
春の節分行事は正月行事の一つとして定着したとのことだが、鬼を追い払うという行為にはどんな由来があるのか。中野准教授によると、根底にあるのは「除災(じょさい)招福(しょうふく)」という中国由来の思想。福を招くにはまず、厄をはらわなければならないという考え方で、年末に大掃除をする風習にもつながっているという。
鬼を追い払う行為は厄除けを意味し、悪や災いを払い落として福を招き入れる準備をする意図がある。年末に大掃除をして正月飾りを準備するのも同じで、一年の汚れを落とし、きれいにした状態で飾り付けなどをして正月を迎えるのが目的とされている。
鬼を追い払う風習の元になったと考えられるのは、かつて大晦日から正月にかけて宮中で行われていた「追儺(ついな)」という行事。追儺は中国発祥の年中行事で、悪や災いを象徴する「鬼」を追い払って厄払いをする。追儺の文化はやがて各家庭に持ち込まれ、現在の豆まきの形になったと考えられる。確かに、災いの象徴である鬼を追い出すという行為は節分の豆まきと重なる。
▽旧暦の風習が残る地域、島根にも
旧暦を元にした行事を現行の太陽暦に当てはめたため現在、節分は正月行事とのつながりが薄まり、独立した行事のように捉えられやすいが、豆まきを正月行事として行う地域は残っているという。
中野准教授によると、松江市では美保関町や島根町といった島根半島の東側で、正月に豆まきをする風習が残っているという。例えば美保関町北浦では大晦日の夕方、いり豆を持って神社へ行き、参拝してから豆をまき、帰宅後も神棚に豆を供えてからまくといった風習が見られる。
取材を通して、節分の豆まきは「厄をはらい幸福を招く」行事というだけでなく、一年の節目に行う正月行事の一つだったことが分かった。
中野准教授は「正月は勝手にやってくるものではなく、迎えるもの。福を招くのも同じで、幸せだけを願ってもだめ。厄をはらって準備したところに(福が)入ってくるということではないか」と、自身の考えを話した。
2月3日の豆まきの前には、部屋を片付け、厄を払う気持ちを込めて豆まきをしよう。中野准教授の話を聞いて、日々の行いに気を配り、幸運を招き入れられるよう準備しておこうとひそかに決意した。
【中野洋平准教授の略歴】長野県出身。2021年4月から現職。専門は民俗信仰、民俗芸能といった分野で、特に「担い手」について研究。島根では県内の集落を研究し、加賀神社(松江市島根町加賀)縁起の研究、加賀旧潜戸の成立に関する研究、地名、漁具の研究などに取り組む。今年は島根半島と大根島を中心に、村堂の調査研究を行う予定。