オーリー日本一でも「プロは無理」 スケボーユーチューバーが選んだ生き方 「今好きなことを全力で」

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 凍える風を切り、滑るようにスケボーが近づく。次の瞬間、カッと音を立てて宙に浮く。板は体と一体となり、高さ70センチのごみ箱を軽々と超えていく。桂川にかかる保津大橋下、京都府亀岡市保津町の保津川プレイパーク。亀岡育ちのスケボーユーチューバー、中澤克哉さん(29)が、「日本一」と称されるジャンプ技「オーリー」を見せてくれた。

 この間、周囲では別のスケーターたちがセクションと呼ばれる台に飛び乗ったり、ボードを縦へ横へと回転させて着地を決めたり。いつのまにか観客に転じた中澤さんは、他のスケーターの技の成功をたたえ、「やばいっしょ!」。純な笑顔でグータッチを交わす。

 東京オリンピックで注目を集めたスケボー。ライバル選手同士が互いをたたえ合う姿は、競技になじみのない人たちの話題をさらった。その光景は、スケボーを愛する人にとって日常だ。「スケボーは勝ち負けじゃないんです。いろんな技を組み合わせるので、滑り方は無限。自分にできるけど相手にはできない、その逆もある。だから『そこでその技につなげるかーっ』と相手をリスペクトできるんです」。魅力を語ると、止まらない。

 スケボーとの出会いは16歳。デビューは遅い。オリンピックを目指していた器械体操をやめ、勉強も嫌いで遊んでいた時、友人に勧められた。運動神経が良くスポーツはなんでもこい。ところがスケボーはジャンプすらできなかった。負けず嫌いでのめり込み、京都市内の練習場所まで駅から往復10キロをスケボーで通う、スケボー漬けの日々。高校2年でスポンサーもついた。

 学校行事でスケボーの本場、サンフランシスコにホームステイしたことや、スケボー環境が充実している海外事情を知り、高校卒業と同時に単身、オーストラリアに渡った。数カ月でホームレスになったり、炎天下でひたすらタマネギを収穫する仕事で食いつないだりと、2年間、苦労しながら技を磨いた。

 このころから「プロとして食っていくのは無理」と思うようになっていたが、「一生スケボーしたい」との思いは揺るがなかった。どうすべきか。帰国後、スケボー廃材で作ったアクセサリー販売や、焼き栗販売、ラフティングガイドなどで稼ぎながらスケボーを続け、元号が令和に切り替わった2019年5月、ユーチューブでの動画配信を開始。パソコンや経営も学び、22年5月、ついに自身のスケボーショップ「LEAPS」を開業した。

 ジャンプの高さを競う各地の「ハイオーリー大会」では1メートル越えを続け、負け無し。新型コロナウイルス禍で一人で遊べるスケボーが人気となる中、動画が拡散され「オーリー日本一」の称号もつけられた。ユーチューブのフォロワーは約18万人。技だけで無く、生き様から紡ぎ出された、熱く、純粋な言葉も人を引きつける。

 「好きなことって感情。10年後に同じだけ好きか分からない。だったら今好きなことを全力でやるべきっしょ」「大人は『就職のため勉強を』というけど、古い。勉強はあとからでもできる」「自分がしたくもない勉強をして、できなくて焦っているなら、好きなことが無いのを焦った方がいい」。互いを尊重するスケボー文化のまっただ中から、好きなことに出会う人生の素晴らしさを、今年も発信し続ける。

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