11月初めにこの「鉄爺、旅の徒然」編の#2で紹介した和歌山・熊野めぐりの際、お世話になったテレビ和歌山・柏原会長から電話が入ったのは12月29日のことだった。
「沼田さん、ごめんね。たったいま中止が発表になったんよ」
その前日の28日、和歌山県ではコロナ感染者が過去最高の2389人を記録したという情報は近畿ローカルのニュースでも大きく取り上げられていたので、予感がなかったわけではない。
「やっぱりですか」
「申し込んであった沼田さんの分の白装束ももう手元にあるんやけどねえ」
ふたりして、しばらくコロナへの恨み言を交わし合った。
「中止」という表現は正確ではないかもしれない。毎年2月6日、和歌山県新宮市にある神倉神社で行われる火祭り「御灯(燈)祭」が、コロナ感染拡大を受けて2023年も一般人の上がり子としての参加は見送り、前年に続いて関係者のみの神事として執り行われることになったのだ。
10月初めに熊野地方をつぶさに案内してもらったとき、神倉神社の存在、御灯祭のことを初めて知り、柏原会長から「是非一緒に参加しませんか」と誘われた。事前に申し込んで参加費を払えば、白装束に腰に巻く荒縄、白足袋に草履、松明などの一式が揃えられ、祭りに加わることができるのだという。
本来は一週間前から精進潔斎し、口にできるのは白い食べ物だけ、祭りは女人禁制で行われる…等々、目からウロコの話もその時に聞かされた。精進潔斎については、いまはそれほど厳密なものではなくなっていて、地域外からの人にもハードルは高くないと背中を押され、参加を決心した。
その後、付け焼刃で神倉神社、御灯祭について調べるにつれ、生半可な気持ちで参加するような場ではないことがわかってきた。柏原会長からホテルの予約も済んだこと、衣装、道具一式の手配も終わったことを伝えられ、プレッシャーが日毎に高まっているところへの一般参加取り止めの連絡だった。
秋に案内されたときは、社のある岩山の麓にある鳥居の前までだった。目の前には自然石を積んで組み上げられた石段がかなりの勾配で上に延びていた。538段、源頼朝の寄進だとの記述も残されている。
神社が創建されたのはそのはるか昔、128年ごろというから気の遠くなるような話だ。熊野三山の神様が、海から上陸した際、最初に立ち寄った場所がこの神倉山であったとか。
重要無形民俗文化財に指定されている祭りは、約2千人の上がり子が社に集い、合図とともに神火を灯した松明を手に、急な石段の下り斜面を駆け下る。松明の灯りが川の流れのような勢いで山を下る様子、その荒っぽさも含め天下の奇祭として知られる。2月の寒空、自然石むきだしの石段、その急傾斜…プレッシャーにはそんな恐怖心もある。
「沼田さん、1年後も2月6日。曜日関係なしや。今からカレンダーに書き込んどいて。予約したで」
どうやら仕切り直しに待ったはなさそうだ。