乗馬やモデルとして国内外で馬と触れ合ってきた中村実希さん。まさにリアル「ウマ娘」と言ってよく、今年10月には米ロサンゼルスで開かれた女性馬術競技「チャーラ・インターナショナル」に日本人として初めて出場した。馬とともに歩んだ半生。「夢は日本でチャーラを開催すること。サイドサドル乗馬を広めて行ければ」と意気込んでいる。
ここまで馬を愛し、馬に愛されている女性はそうそういないのではないか。好奇心が旺盛で冒険家。海外の関係者から「クレイジー・ホース・レディー」と呼ばれている。
そんな中村さんがチャレンジした「チャーラ・インターナショナル」にはフランスやアルゼンチンなど8カ国の女性騎手が参加。これはメキシコの国技「チャレリア」の中にある競技のひとつで今回はチャリティーイベントの一環としてロサンゼルスの「ピコ・リベラスポーツアリーナ」で開催された。
「会場はロックコンサートなども行われているそうで、初めて見たときの興奮はいまでも忘れられません」
メインの仕事は映画や時代劇の撮影モデルや時代祭などのイベント出演。しかし、そこに馬がいて乗馬ができると聞けば、ところかまわず積極的に「ウマ活」に出掛けていった。
「いろんな場所で様々な馬に乗らせてもらいました」
国内では極寒の北海道から沖縄・石垣島の海まで。馬への熱い思いは国境を越え、これまでにモンゴルをはじめヨルダン、カンボジア、タイ、フィリピン、台湾、セブ島。さらにイタリアや米フロリダ州も訪れている。
「台湾では乗馬の大会に出場させてもらいましたし、第2の故郷のような感じ。カンボジアではアンコールワットの敷地内にいた馬にまたがっちゃいました」
幼い頃から馬が好きで描くのは馬の絵ばかり。やがてポニーの試乗会で馬に乗ることの楽しさを覚え、9歳のときに大東市にあった「ロディーズステーブル」に通い始める。そこまで裕福な家庭ではなかったそうで、中学校に入ると京都競馬場が募集していた「淀乗馬スポーツ少年団」に入会した。
「とにかく、私にとっては馬が先生でした。ほとんど我流でしたが、ウエスタンでもブリティッシュでも流鏑馬でも何でも興味を持ち、何でもある程度はこなせるんです。そんな柔軟性があるからサイドサドルにたどり着いたのかも知れませんね」
サイドサドル(横鞍)とは馬に跨らずに両足を左側に置き、横向きに乗るための鞍や騎乗姿勢をさす。鞍にはホーンと呼ばれる2つの突起があり、騎乗者は脚でこれをはさみこむことで騎座を安定させる。「女王の鞍」とも呼ばれ、今年亡くなられた英国のエリザベス女王もこの乗り方をしていた。
中村さんがサイドサドルと出合ったのは2019年、知り合いからスペインで購入した鞍を渡されたのがきっかけだった。「なんなの、これ」。好奇心をくすぐられ、見よう見まねで乗り始めた。情報を収集しようとしたが、国内ではそこまで知られていなかった。
そんなとき、SNSで発信していた様々な「ウマ活」が今回の主催者の1人でもあるクリスティーナ・カブラルさんに伝わり、昨夏に本場メキシコへ招待を受けた。だが、世界的にコロナ禍がピークを迎えており、断念。今回の渡米は1年越しのオファーに応えたものだった。
「こんなチャンスを逃したらもう2度とない。行くしかない、と思ったんです。私が行くことで世の中の閉塞感も少しはやわらぐかなとも思って」
無鉄砲にも思えるが、このあたりの行動力はさすが。英語もスペイン語も理解できず、8人1組のチームプレーということから当初は苦労の連続だったそうだが、持ち前のガッツと明るさで乗り切った。
「日本を代表して行っているのにショーを演じきれるのか、不安で不安で泣いた日もあったんですよ。でも、私ならできると覚悟を決めてからはビデオで動きを確認したり、みんなが”ミキ、ここはこうだよ”とノートに書いてローテーションを教えてくれたりして。チームワークの良さに助けられました」
渡米から2週間後の10月2日に迎えた本番。「日本の心にこだわった」中村さんは和装し、現地でコンビを組んだ愛馬にも赤い三懸をつけ、堂々と演じきった。
「女性騎手はエスカラムサと呼ばれ、凄い人ばかりでしたが、私もプロと思って、やり切りました。大切なのは馬を信じ、人を信じること。国も違って生き方も違う人が、馬を通してひとつになったこと、今回の体験すべては私の人生にとって欠けがえのない財産になりました」
もちろん、いまも心に灯はついたままだ。日の丸を背負い、貴重な経験を積んだことで、今後の「ウマ活」につなげなければいけないと使命感に燃えている。
「夢は日本でもチャーラを開催すること。そのためにはサイドサドルを知ってもらわないといけません。サイドサドルは体に障害があって、馬にまたがれない人でも乗馬を楽しむことができる。これからもずっと馬と触れ合い、馬を通して人とつながりたいですね」
リアル「ウマ娘」はそう言って、瞳を輝かせた。