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京都の女子大学同級生が50年続けた「交換日記」 15人の人生凝縮、80歳を機に「おたき上げ」決断

京都新聞社 京都新聞社

 50年にわたり「交換日記ノート」を続けてきた。同志社女子大(京都市上京区)ユースホステルクラブ出身の女性たち。郵便で順に回して近況を伝え合う文面には、昭和から同時代を歩んできた人生が浮かぶ。結婚や転勤で離ればなれになっても仲間の心をつないできたノート。80歳を機に、女性たちはある決断を下した。

 もうすっかり黄ばんでいる。半世紀前のノートは、ほどけそうになるのをテープで補修し、大切に残してきた。

 日記を続けてきたのは、全国のユースホステルに泊まって旅や交歓会を楽しんできたクラブの同期15人。3年生でクラブの幹部になった昭和40(1965)年にちなみ「し(4)まる(0)会」と名付けた。

 ノートの交換は大学卒業から8年後の75(昭和50)年、30歳で始めた。結婚や子育てにより全員で集まるのが難しくなっていた。

育児や転居びっしり

 手書きの文字でびっしりと埋まった1冊目には、わが子の写真と共に、育児に懸命な親としての心情を記している。

 <いたずらもはげしくなり、ひとつのワルサの後始末をしているとすぐその後でもう次のワルサが始まり(中略)まるで賽(さい)の河原で石を積む心地です>

 羽仁もと子著「おさなごを発見せよ」といった、お薦めの育児本も紹介し合っている。

 1~2年かけて一巡したノートが手元に届くと「うれしくて夕飯の支度そっちのけで読んだ」と村上真喜子さん(80)=広島市=は懐かしむ。

 子どもの進学や就職に胸をなでおろしたり、転居先での新たな生活に期待や不安を抱いたり、親の介護に苦労したり…。

 ノートが回ってくるのに6年を要した時期もあり、その間の身辺の変化や思いをそれぞれ数ページにわたって書き留めた。メンバーの歩みがノートに積み重なっていった。

時代の空気までも

 時代も昭和から平成、令和へと移り変わっていった。ページの端々に時代の空気が漂う。

 <この一年実にいろんなことがありました。東西ドイツの統一、サッチャー首相の辞任、天皇の即位等々、世界中、日本中で悲喜こもごもの事柄が毎日起こっています>

 2002年に北朝鮮から拉致被害者が24年ぶりに帰国したニュースには、ノートを交換してきた年月と重ね、こう記した。

 <ノートが巡り巡っている間中、ほとんど同じくらいの期間を北朝鮮ですごされたことを思うと、しまる会全員の家族の歴史と重なりあって、拉致された期間の長さをため息のでるような思いで感じています>

 しまる会は定期的に旅行を企画し、みんなで顔を合わせている。それでもノートは欠かせない存在という。

 中上京子さん(81)=京都市左京区=は「おしゃべりをしても深いことや自分のことばかりは話せない。ノートはたくさん語れるし、旅行に来られなかった人とも(次に会った時に)距離がないんです」

 ページを繰りながら互いの人生に寄り添ってきた。メールや携帯電話が登場しても、ノートの価値は変わらなかった。

神社でおたき上げ

 だが、60歳を過ぎたころ、仲間の一人が亡くなった。ノートにも自身の病気や心身の不調の記述が増えていく。80歳が近づくにつれて交換日記の終え方を意識するようになった。

 継続を望む声もあったが、相談を重ねた結果、終了を決めた。仲間の多くが元気なうちに自分たちの手で幕を下ろしたい、という気持ちからだった。ノートは計8冊にのぼっていた。

 今年にかけて全部を順番に回し、50年の軌跡を読み返した。最後は母校のある京都市内の神社で、おたき上げをしてもらうことにした。

 神社探しに奔走した村上さんの呼びかけで、メンバーのうち10人が昨秋、京都に集まった。燃えにくい背表紙をはがし、ノートをばらす作業をした。

 「いよいよお別れやね」「名残惜しいね」。こみあげる思いをかみしめ、50年分の束を白い紙で包んだ。紙には松井友子さん(81)=大阪府泉佐野市=が「しまる会ノート さようなら」「ありがとう」と筆ペンでしたためた。

 翌日、神社にノートを届け、無事におたき上げされることと、変わらぬ友情を願って祈とうを受けた。

 松井さんは「安心した。まきちゃん、いろいろありがとう」と村上さんに声を掛けた。村上さんの目には涙が光っていた。

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