ゲイでオネエで、額には目のペイント。名前は「U☆K」(ユーケースター)。頭の猫耳がチャームポイントで、またの名をねこちゃんという。
本名は上原健二郎さん(30)=尼崎市。フェースペインティングやイラストなどを手掛け、創作の様子をSNSでも発信している。肩書は芸術家ならぬ「ゲイjuthu化」で、職業は「生きること」。
LGBTQの当事者たちが自身の性的な指向や自認などをカミングアウトするかどうかは、それぞれに違う。差別や偏見から言いたくても言い出せなかったり、あえて明かさなかったりする人もいる。
「あたしは完全に、ゲイです」と言い切る。異性が好きないわゆる「ノンケさん」には、あまり興味を持たないという。
「まあ、こんな感じなのでフルオープンになるしかないんですけど。良い意味で振り切れているのかも」
ただ、ためらいなくそう言う一方で、家族との関係を巡っては「そんなあたしでも、本当に難しかった」と振り返る。
いじめ、父の暴力
自身がゲイだということに気付いたのは小学生の頃。同性への恋愛感情に戸惑い、当時は病気だと思っていた。「これを言ってしまったら何かが終わってしまう。こわれてしまう」と、誰にも明かさなかった。
小中学校ではいじめられ、家族に話を聞いてほしくても「甘えるな」と怒鳴られた。父の暴力におびえ、ハンマーを投げつけられて血を流す姉の姿を見て「逆らったら死ぬ」と震えた。居場所がなかった。
中学を卒業して定時制高校に進み、アルバイトをしながら芸術系の専門学校に通い始めると、少しずつ友達ができた。
その頃、ガラケーで同性愛者たちが集う出会いサイトに登録し、男性と会った。「本当に自分はこっちの子だったんだ」。はっきりと自覚した。
目の前の世界が明るくなり始めているような気がした。それなのに、学費の未納で定時制高校を退学になった。親に借金があった。心が折れた。
「ここにいてもダメ。狭い世界から野良猫のように飛び出したい」
当時18歳。家を出ると決めた。誰にも分かってもらえないとの思いがこみ上げ、地元や実家の窮屈さに耐えられなかった。
いじめられたり、暴力におびえたり、過去を切り離したかった。親には「仕事の先輩の家に住み込みで働く」とうそをつき、大阪市内の彼氏の家で暮らし始めた。
「彼は料理人で、料理のことや、人とともに暮らすことの大切さを教えてもらいました。7歳上の人だったんですけどね」
溶けて消えた「男と女」
大阪では、多くの「お仲間」との出会いがあった。男女の線引きが溶けるようになくなる。そんな世界だった。
「20歳までの2年間で口調や見た目も含め、今のあたしができあがっていったんです」
大阪には、バーをはじめ同性愛者のコミュニティーがたくさんあった。オネエの大先輩たちに囲まれていると、不思議な感覚になる。
「こっちの方が家族のような。家族よりも、家族だなあって」
話を親身に聞いてくれる「大先輩」や「お仲間」は本当の理解者のようで、あたたかかった。
ゲームセンターやダーツバーで働いた。そこでも猫耳は生えたまま。「ねこちゃん!」と周囲は慕ってくれて、受け入れてもらえていると実感があった。「良い意味でいろいろと隠すのがバカらしくなっていきました」
この7、8年を「大阪時代」と呼んでいる。都会での生活に疲れてきた頃、「近況を報告したい」と思い立ち、「話しても分かってもらえない」と足が遠のいていた実家へ帰った。
「自分はゲイで、男の人しか好きじゃないねん」。母を部屋に呼び、打ち明けた。母は「う~ん」と困ったような表情を浮かべるばかりで、「そろそろいい?」と会話を切り上げ、すぐに下の階へ降りていった。
「なあなあにされて終わった感じ。表情から、認めたくないんだろうなということは伝わった。めんどくさかったんでしょうね、関わるのが」
父には、またいつか言えばいいかと先送りにした。
エイズ発症、地獄の始まり
2016年の夏。24歳のときに自転車に乗っていて、突然血を吐いた。その場に倒れ、病院へ運ばれた。1カ月半ほど入院し、生死をさまよった。
エイズウイルスに感染していた。お見舞いに来てくれるのは母だけで、着替えを持ってきても「早く帰りたい」と不機嫌そうに繰り返していた。横たわっていると、誰かがお見舞いにきてくれたような幻覚が何度か見えた。誕生日は病院のベッドで一人だった。
「そんな状況でも、あたしは早く社会復帰し、なんとかがんばりたいと思っていた。退院して実家に戻れば希望は絶対あると」
重症化し、左半身はまひしたまま。口が動かず話もできない。その状態で退院し、実家へ帰った。
「そこからが地獄だった」
実家でも寝たきりの状態が1年半ほど続き、母が介護をしてくれた。小さい体で風呂場まで担ぎ、シャワーで頭を洗ってくれた。「まるでごみを洗うようでした」
「汚い息子」「恥ずかしい」
家にいて聞こえてくるのは、いつも罵声や怒声だった。
父は「お前なんで生きてんねや、死ね」と怒鳴り、テーブルの食事をひっくり返す。兄は「なんでお前なんか存在してんねん」と罵倒する。母は「お前みたいな汚い息子、横で歩くだけで恥ずかしい」と突き放した。
「いないものとして扱われているような。人じゃなくて、もの。ごみかほこりか分からないけれど」
今思えば、家族も困惑し、余裕がなかったのだと理解できる。ただ、そのときは自分を全否定されているとしか思えなかった。
動けるようになったとき、声が出ないことに気がついた。人を拒絶し、自室に閉じこもっているうちに、言葉も失っていた。
ある日、見かねた兄が紙を持ってきた。没収していたスマートフォンを返す代わりに、毎日絵を描いてSNSにアップするようにと。「お前、このままやと死ぬと思うから」と兄は言った。
それから約8カ月、アニメのイラストや芸能人の似顔絵などを描き続けた。その数、200枚超。ツイッターのフォロワーは3千人を超えた。「すごく上手」と反応があると、心がほどけた。
気持ちが外に向いた。母が美容室に付き添ってくれて、髪を切った。前髪はあごの下まで伸びていた。描く場所を自分の部屋から、近くのフードコートに変えた。会話には筆談やスマホの音声読み上げアプリを使った。
それ以来、地元の商店街や市場のイベントで絵を描いたり、12月1日の「世界エイズデー」に当事者として招かれたりと、活躍の場を広げる。
それでも、家族との間にはしこりが残ったままだった。家に帰ると、父は相変わらず怒鳴り、その声は3階まで聞こえた。
4年前の4月、父が亡くなった。
父の意外な行動
同性愛のことも、猫耳のことも、最後までゆっくり父と話すことはなかった。「あたしがエイズになって、それどころじゃない状況でした」
今になって当時を振り返ると、一つ父の意外な行動を思い出す。
閉じこもっていた自室から、外に出た初日。大工をやめた父は、タクシーの運転手として働いていた。絵を描くためにフードコートへ向かっている道中、父のタクシーが近づいてきて、開けた窓から言われた。「乗れ!」
猫耳にフェースペイント姿の息子を見て「お前、なんやねんその格好!」「これからどうすんねん!」と相変わらずの口調で言った。そして、ショッピングセンターまで送ってくれた。
「やっと社会復帰したと思ったら、この格好で現れたので父もびっくりしたんでしょうね。こっちも待っているとは思わないのでびっくりで。あたしも似ているんですけど、父はちょっと不器用なんです」
それでもやっぱり家に帰れば父は怒鳴っていて、すぐに自分の部屋へ駆け上がった。
余命わずか、父の変化
その父が、肝臓がんで倒れた。すでに末期で、余命はわずかだった。屈強だった腕や脚が、あっという間に枝のように細くなった。
お見舞いには、猫耳とフェースペイントのまま行った。その姿を見ると激怒していた父だったが、この日は違った。「看護師さん、見てくれ。こいつピエロやねん」と冗談めかし、今までに見たことがないくらいに笑っていた。
「父は本当はもっと知りたかったんだと思う。引けない性格だから。命のともしびの時間を改めて痛感したとき、息子との大切な時間だと悟ったんですかね。まあ、あたしはピエロではないんですけどね」
自宅で余生を過ごすことになった。介護が始まってすぐ、家族で集まったとき、父に言われた。「ごめん。ありがとう」。衰弱していて、か細い声だった。突然の謝罪と感謝。その理由は語らなかった。
「このままつんけんしていてはだめだわって、あたしも思った」
トイレで笑った父
働いていた母と交代で父の介護を担った。診療所まで車いすを押した。父は自ら車輪をつかんで進めようとするが、力が入らない。よろめき、転びそうになる。「危ない、危ない」と駆け寄って支える。体はぼろぼろなのに、父は嬉しそうだった。
「その道中とかね、こんな当たり前のところに幸せがあるんだなって。こんな気持ちは、大阪時代にもなかった。あたしにとっては一生の宝物」
自宅のトイレまで父をかつぎ、便座に座らせると、中から「おいっ。紙、紙」と声が聞こえてきた。トイレットペーパーが切れていた。
自室にティッシュの箱があるのを思い出し、急いで取りに行って渡すと、にこにこしながら父が言った。「お前って、できるやつやったんやなあ」。走って、また自分の部屋に戻った。父がトイレを済ませるまで、こらえきれなくて泣いた。
「感動的なシチュエーションでは全くないですけど。そんなことを言ってくれたことがなかったので。あのときの父は、うそのない笑顔だった」
それから数週間後、父は息を引き取った。亡くなってから、母は息子が携わるイベントの会場によく顔を出すようになった。そこで出会う人たちと仲良くなり、楽しそうに会話をしている。出なくなった自身の声も、昨年9月に戻った。
猫耳のわけ
以前、トランスジェンダーの知人からあるエピソードを聞いた。「女なの? 男なの?」と聞かれ、迷った末にその知人は高らかに言ったという。「私の性別は、私よ!」
家族との隔たりは大きかったし、しんどかったし、つらかった。それでも今は、こう思う。
「『自分らしかったらなんでもよくない?』って。父や母もゲイとかそういうのを超え、自分らしく生きる今のあたしに価値があると認めてくれたんだって」
猫耳は、付けているのではない。魔法で生えている。「猫のように自由で気まぐれなのが、あたしらしいから」
(まいどなニュース/神戸新聞・大田将之)
※初出時から表現を変更しています(2022/05/19 12:40)