オリックスのホープとして期待されながら国指定の難病のため、22歳の若さで引退した西浦颯大さん(23)は10月に大阪市中央区でバー「ばるす」をオープンし、店長をしている。レギュラーをつかみかけた矢先での悪夢。いまも足に後遺症が残る中、自身とどう折り合いをつけ、どこへ向かおうとしているのか。
西浦さんがマスターをしているバー「ばるす」は大阪・南船場の一角にある。どちらかというとビジネス街。表はテラス席が設けられ、喫煙OK。店内には真ん中に円卓が置かれ、8人ほどで満席になる。
「ミナミや心斎橋に比べると人通りが少ないですからね。京セラに近いし、オリックスファンが集える店になれば、いいかなと思ってます。カウンターにしなかったのは、みんなで輪になって飲んだ方が楽しいかなと思ったんです」
店内に流れる音と映像はヒップホップ系。ときおり、チャゲアスなどをかけけてくれるのは、こちらに気を遣ってくれているのだろうか。
「いやぁ、僕、チャゲアスが大好きなんです」
店名の「ばるす」は何語なのだろうか。昴と関係があるのかも。どんな意味かも気になって、尋ねてみると、思わずガクッとなった。
「特に意味はないんですよ。語呂がいいのでつけたんですが、あとで天空の城ラピュタに”ほろびの言葉”として出てきたり、ヒンズー語で”平和”を表したりするそうです」
どうもつかみどころのない西浦さん。しかし、ふとイスの横を見ると松葉づえが1本置かれていた。
熊本県出身。中学時代は同郷でヤクルトの主砲、村上宗隆選手(22)とライバルであり、九州選抜として台湾遠征に参加した間柄。U15侍ジャパンの選考会を一緒に受けに行ったという。
明徳義塾高から2017年のドラフト6位で入団。夏の甲子園で満塁本塁打を放つなど、パンチ力を兼ね備えた強肩俊足の外野手として期待された。「実はヤクルトにもっと上位でという話だったんですけど…」
1年目には早くも2試合に出て初安打を記録。2年目には「2番・中堅」で開幕スタメンをつかんだ。この年は77試合に出場。チームとしてイチロー以来となる10代での本塁打も放ち、前途有望、順風満帆の野球人生を歩んでいた。
さらに、3年目も途中までは49試合に出場したが、ある日の2軍戦で下半身に異変を感じ、オフに入った11月に関西の医療機関で診断した結果、国の指定難病「両側特発性大腿骨頭壊死症」と判明した。
「最初は筋肉痛かなと思ったんですが、しばらくするとお尻周りに耐えられないような激痛が走った。で、病院に行ったんですが、最初に名前を聞いたときは”なんだ、この病気”と思いました。”野球ができない”と言われても納得いかなかった。しかし、セカンドオピニオンで診てもらった京大病院でも”野球は難しい”と言われて。ツイッターでは”戻って来ます”と発信しましたが、ずっと不安はありました」
その後は支配下登録から育成へ。手術後は懸命のリハビリを続けたものの、症状は改善せず、翌年の6月に再び京大病院で診察。このとき、引退を悟り、9月に公表した。
「プロ野球選手になることだけを考えて生きてきて、それが叶った。だから引退するまでは実感はなかったですね。いまはなったものは仕方ないと思う一方で、あと2、3年でレギュラーを獲れていたんじゃないかと思いますよ」
店にはかつてのチームメートや恩師の中嶋聡監督から開店祝いの花やメッセージが届いた。プロでの思い出は尽きないが、チーム内で唯一10代だったことから遠征先ではホテルに缶詰だったとか。
「先輩からご飯に誘っていただきましたが、外出禁止になっていたのでコーチの部屋で素振りばかり。ほんとに鍛えられました。だから僕、中洲もすすきのも知らないんですよ」
引退後の1年は知り合いの店でバーテンとして働いた。アパレルにも関心があり、自身のブランド「リベルダージ」(ポルトガル語で自由)も立ち上げた。
「いまは焦らず、何をするにも、もっと勉強しなければと思っています。ばるすの2号店も視野に入れていますが、ゆっくり進めていきます。明徳でも3年間鍛えられましたから、どんなことにも耐えていけますよ。オリックスも頑張っていますし僕もいい刺激を受けています」
店のある場所は昼間は買取店になっており、先行投資を避けるために夜だけ間借りしている状態。まだ23歳。確かに急ぐ必要はない。早すぎた野球人生。いまはゆっくりと地に足をつけて進んで行くのがいいのかもしれない。