大阪市の南部を東西に流れる大和川。かつて、その堤防沿いを走る貨物線「阪和貨物線」があった。廃線後しばらくはレールや踏切の信号機などが残されていたが、今は撤去されて空き地になっている。そんな遺構の一部をたどってみよう。
貨物線だけど旅客列車も走っていた
大和川右岸(北側)の堤防に沿って、廃線になった鉄道の痕跡がある。ここには、かつて「阪和貨物線」という貨物路線が走っていた。
大阪府の八尾駅を起点として、久宝寺駅―加美駅間から南へ分岐し、大和川に沿って大阪市住吉区の「杉本町」までの11.3kmを結んで、旧国鉄時代の1952年(昭和27)に開通。東海道・山陽の幹線と和歌山方面を結ぶ役割を果たしたという。
その前身は、戦時中に陸軍の大正飛行場(現、八尾空港)へ物資を運ぶ引き込み線だった。貨物線として開通してからは、主に貨物列車が運行されていたのはもちろん、天王寺を経由せずに関西本線と阪和線を最短で結べるため、1965年(昭和40)からは旅客営業も始まった。名古屋から和歌山へ向かう旅客列車が定期的に走っていたほか、修学旅行列車などの臨時列車が走ることもあったという。
そんな阪和貨物線も、時代の流れとともに定期貨物列車がなくなり、臨時列車の運行も年に数回ていどまで落ち込んだ。維持費がかさむばかりとなって、2004年(平成16)7月に営業を休止。2009年(平成21)3月には廃止となった。廃止前の数年間は回送列車が1日1往復、レールの錆を取る「錆取り列車」として走っていた。
営業を休止する2年前の2002年9月に撮影した、117系と思われる列車が走る写真を見ると、そこに乗客の姿はない。すでに路線の使用頻度が激減していたため、この頃から「錆取り列車」が走っていたようだ。
廃線跡の今後は? スーパー堤防として拡幅された箇所もある
大和川堤防沿いの廃線跡には、しばらくのあいだ踏み切りや信号機、標識などが残っていた。それも順次撤去されていって、いつしか延々と続く細長い空き地になっていた。
その後、堤防の決壊を防いだり、大和川の水位が堤防を越えても周辺地域を冠水から守ったりする「大和川スーパー堤防」の名目で、東住吉区の行基大橋と下高野大橋に挟まれたエリアで、堤防の幅を広げる工事が行われた。その工事に伴って廃線跡の一部は埋められたが、大部分はレールが撤去された状態のままで残っている。大阪市ホームページ「市民の声」によると、スーパー堤防化は引き続き検討されているとのこと。
大和川沿いのエリアはこのような状況で、跡地の今後についてJR西日本の広報に問い合わせみると、特に決まっていないという返事だった。
では、ほかのエリアはどんな様子だろうか。
住吉区と東住吉区エリアではレールが撤去されているが、平野区ではまだ一部が残っている。また、高架がそのまま残っていたり、落下事故防止のためか一般道を渡る部分だけ高架が撤去されていたりして、いろいろな光景を楽しめる遺構となっているため、沿線を歩いて楽しむ、いわゆる「歩き鉄」の人気スポットになっているという。