京大卒の芸人「学生時代を京都で過ごすと、京都の魔力に取り憑かれる」に共感の声 強制退去理由も京都らしかった

塩屋 薫 塩屋 薫

「学生時代を京都で過ごすと、京都の魔力に取り憑かれるという。僕もそうだった。好き過ぎて離れ時を無くし、大学・大学院を出てからも粘って住んでいた」と、ツイートしたのはピン芸人の九月さん(@kugatsu_main)。投稿に2万以上のいいねがついた、九月さんに京都での思い出を聞きました。

さらにこの投稿には続きがあり、学生用アパートだったことから「不動産に『もう学生さんじゃないですよね。長く居はりましたね』と言われ、強制退去させられた。最終回まで最高だった」とのこと。

改めて、今振り返り「あの不動産屋さんは京都という街の化身だったかもしれない。「離れる時が来たよ」と知らせに来た感じがあったのだ。僕は上京することを決めた。あの何かに導かれるような流れを、僕は一生忘れないと思う」と語っている。

これを受け、「京都らしい終わり方。でも穏便で良かったですね」「私も京都の学校に行ってから、住んでしまいましたね。40代でしたが(笑)」「京都良すぎるんよなぁ」「京都で学生生活を送り、京都市民となった身としては、わずかなお話だけで共感。小説かエッセイにして書いて欲しい。読んでみたいです」など、同じく京都に魅せられた声が寄せられています。

現在は東京を拠点に1人コントをし、毎日YouTubeで動画を配信している九月さん。生まれは青森県八戸市で、京都という街が持っている歴史や文化、雰囲気、土壌には強い関心と憧れがあったそう。京都大学教育学部・大学院教育学研究科の出身で、京都市の左京区に8年間住んでいたころのお話、そして芸人活動について教えてもらいました。

京都の魔力とは…

――今回の投稿に多数のいいねやコメントが寄せられていますね。

きっと、僕と同じように京都という街が持っている魅力を知っている人が多いのだと思います。ご時世がご時世じゃなかったら、みんなで鴨川にビニールシートを敷いて、お酒でも飲み交わしたいところなのですが。

――当時、九月さんの周りの京大生で卒業後も学生アパートに住み続ける方は結構いたのですか?

大学卒業後も、身分が曖昧な間は引き続き住む人が結構いましたよ。僕もそのパターンでした。

――京都の学生あるあるのようなエピソードはありますか?

京都の学生街とされる左京区の一乗寺エリアに住んでいて、学生向けの大味な料理屋さんと、京都に古くからある薄味の料理屋さんが7:3くらいの比率で混在していました。引っ越した当初は「ちょうどいい濃さの食べ物」を探すのに苦労しましたね。

――個人的にも京大生=左京区のイメージが強いです!

そうですね。左京区だと家庭教師や塾講師のバイト募集が多いのですが、京大生というだけでどこへ行ってもかなり良い待遇をして頂きました。しかし京都出身ではないと分かると、少しトーンダウンする傾向はありましたね。

――なるほど(笑)。京都の街自体の印象はいかがですか?

京都は盆地ですから、自転車さえあればどこへでも行ける良さがありました。反面、自転車を使う学生が多いぶん駐輪場が不足しており、僕が学生だった当時はどこへ行くにも自転車撤去との戦いでした。お店の前に10分停めているだけでも撤去の対象となるのですが、こんなに厳しい自治体は京都しか知りません。今はいくぶん改善されているようです。

――特に思い入れのある場所はありますか?

哲学の道に思い出があります。大学生の頃に交際していた相手とお花見デートに行きました。京大の近くから銀閣寺の方へと続く、桜のきれいな細道です。「哲学の道っていい名前だよね」などと言いながら歩いていたところ、一番奥のあたりで振られました。一人でとぼとぼ帰る途中、「哲学の道って名前なんやねん」と無性に腹が立ちました。

――それは悲しい…。「あの不動産屋さんは京都という街の化身だったかもしれない。『離れる時が来たよ』と知らせに来た感じがあったのだ」とツイートされていましたが、家を出る時の心境を覚えていますか?

京都を離れて上京したのは2020年、3月末のことです。コロナ禍がちょうど始まろうとしている時期で、東京で決まっていたいくつかの仕事もなくなってしまって、京都への感慨に浸っているどころではなかったのですが、それでもやはり思い出の場所を回ってしまいました。自分の人生の1つのチャプターが終わってしまうのだと思いつつ、いつか必ず帰って来ようとも思いました。

――改めて、好きで離れ難くなる京都の魔力って何だと思われますか?

京都に進学する学生の多くは、京都という街に憧れを抱いてやって来ます。そして多くの者は、卒業と同時に京都を離れていきます。同じような憧れを持った人たちが集まって、みんなで鮮やかに記憶を焼き付けあうような儚い一体感がありました。京都に生まれていたり、京都に定住したりすると、また違った街の姿が見えたのかもしれません。

コントでは学生街で見た風景も投影

――いつから芸人活動を始めたのですか?

お笑いを始めたのは大学院生の頃です。何かしら自分が面白いと思っているものを形にしたいなと思っていたところ、いくつかネタのようなものができたので、2016年ごろからライブ活動を始めました。養成所や学生お笑いサークルは経由していません。ただただネタを作って披露するのが楽しく、のめりこんでいくうちに、いつのまにか芸人専業となり、今に至ります。

――コントのネタに京都や大学時代の要素が入ることもありますか?

たくさんありますね。京大の実験施設で研修を受けた時に食べたエビが美味しかった思い出から作った『カワムラアカエビ』、内容は難解ながら教授の熱い思いが伝わってきた哲学の講義を思い出して作った『脳天柔らか哲学教授』、京都での1人暮らしが寂しくなって作った『夜泣き』、学生時代の宅飲みを思い出して作った『馬鹿と邪悪』、学生時代へのノスタルジーを煮詰めて作った『喫茶店の魔法』など。

――ネタを拝見して、関西弁のイントネーションも印象的でした。

ありがとうございます。僕には使える方言が3つあります。実はどれも上手ではなくて、100%自信をもって話せる方言はありません。そのぶん、どれか1つの言葉に絞ることをせず、コントに応じて使い分けることにしています。

地元の東北弁を使うのは、青森の風景を想像させたい時。共通語を使うのは、なるべくプレーンな印象を与えたい時。学生時代に覚えた関西弁を使うのは、自分が学生街で見た風景や、大学生の頃に考えていたことをコントにする時です。

特に新聞記者、学校の先生など、自分が大学卒業後になっていたかもしれないと思う職業を演じる時には、関西弁を使うことが多いです。

――やはり学生時代の思いが投影されているのですね。活動でのポリシーは?

事務所に属さず、オーディションも受けず、来る仕事はすべて拒まず、あとはひたすらコントを作って単独公演を開いています。芸人の中でもかなり特殊なスタイルで、こういった活動をしている人を他に知りません。72時間軟禁されてコントをやり続けるライブだとか、1週間古民家に閉じこもって1000本コントをやるライブだとか、好奇心と体力の赴くままに活動しています。

――それはすごい…コントにかける思いを最後に教えてください。

自分が体験したことや考えたことを、形に残したくてコントを作っています。僕の生活がかなり純度の高いまま真空パックされているので、日記や手紙、エッセイなどを読むような感覚で楽しんで頂けたら嬉しいです。種類も数も全速力でたくさん作っているので、どうぞ応援してください。

◇ ◇

ちなみに、青森県出身の九月さんにとって京都の夏の暑さは耐えがたく、「体感では京都の5月が青森の8月、京都の8月は青森のサウナ」と住み始めて数年は夏が来る度に体調を崩していたそうです。京都で学生時代を過ごした方にも、さまざまな青春の思い出があるのでは!?

■九月さん公式Twitter https://twitter.com/kugatsu_main
■YouTube「九月劇場」 https://youtube.com/channel/UC04k7X9-GZapcoL0PKNqvww?app=desktop

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