イノシシとブタをかけ合わせた「イノブタ」が誕生したのは1970年3月8日のことでした。当時の和歌山県すさみ町の町長が雄の子イノシシを県畜産試験場に寄贈したのが始まり。そこで、県畜産試験場は「何か特徴のある畜産物ができないか」と考え、イノシシの雄と豚の雌を交配し、イノブタが誕生したのです。
また、74年には公的機関としては初めて国からの助成を受け、以来、イノブタの飼育技術の開発に取り組んできました。その間、ブランドイノブタ肉「イブの恵み」「イブ美豚(びとん)」の商品化に成功したわけですが、今後の50年はどうなるのでしょうか。”発祥の地”和歌山県に聞いてみました。
「イノブタ」誕生のニュースはかなりの衝撃をもって迎え入れられました。当時、私は6歳。「イ・ノ・ブ・タ」という言葉の響きに興味を示し、やけに反応してしまった記憶があります。そんな同世代の人、結構いるんじゃないでしょうか。
もちろん、和歌山県でも反響は大きかったようです。その当時は全国的にみても先進的な取り組み。すさみ町ではイノブタで観光客を呼び込み、地域活性化を目指します。
1986年にはパロディー国家、その名も「イノブータン王国」を建国。「イノブタダービー」はすさみ町の名物ともなり、町内には鍋や丼など様々なイノブタ料理を楽しむことができる飲食店ができます。地域のCoCo壱番屋で「イノブタカレー」を提供するまでに発展していったのです。
ここで和歌山県畜産試験場でのイノブタへの取り組みを聞いてみましょう。コメンテーターは県畜産試験場の岩尾基さんです。
「和歌山県畜産試験場が白浜町から現在のすさみ町へ移転した1968年に、当時のすさみ町長が雄の子イノシシを寄贈してくれたことが始まりです。
当場では、その雄イノシシと雌豚を交配させて1970年3月8日に初めてイノブタが誕生しました。なお、それまでにも全国的には一部の地方でイノブタをつくって飼育していたとも言われていますが、明らかではありません。
その後、当場で、1974年より、公の機関としては全国に先駆けて当時の農林省の助成を受けて、総合的な試験研究に取り組みました。
当時は経済が高度化する中で消費者ニーズも量から質、つまり、グルメ嗜好の時代へと変化してきており、特徴的な畜産物を生産することを目的にイノシシとの交配試験を実施し、消費者ニーズへの対応と山村地域の畜産振興を目的に試験を開始しました」
雄のイノシシと雌豚との掛け合わせは、交雑種を意味する「F1」と呼ばれ、肉は「イブの恵み」として人気を得ましたが、生産性が低く、出荷が少ないのがネックでした。そこで雄のイノブタに肉質がいいとされる「デュロック種」の雌豚を交配。豚とほとんど生産性が変わらなくなったものを、戻し交配を意味する「B1」と呼び、肉は「イブ美豚」として売り出されています。
ちなみに、イノブタ同士を交配するとどうなるでしょうか。聞くと、肉質にバラツキがでるそう。また、英語でいう「ハイブリッド」という言葉がありますが、その語源もイノブタを意味する「ヒュブリタ」からきているそうです。
ここで再び、岩尾さんに登場願い、イノブタ肉の特徴について、試験場でまとめた結果を基に報告してもらいましょう。内容は以下の通りです。
①あっさりしていて臭みがなく、癖がない中にも風味がある。
②肉色は赤みが濃く、どちらかといえば牛肉に似ている。
③豚肉に比べ適度な歯ごたえがあり、保水性が良く肉汁の漏出が少ない。
④キメ・シマリが良く、歯切れの良い食感が食欲を増す。
⑤脂は特に口の中でとろけるような滑らかで、甘みがあり大変おいしい。
⑥全国的にも非常に珍しい食肉である。
どうでしょうか。いいことが多いように思われます。ただ、今後については課題も少なくないようです。岩尾さんはこう話します。
「現在、和歌山県のイノブタの飼養農家は、すさみ町に限られています。B1イノブタの開発と技術普及により、新規農家が増えましたが、まだまだ、生産頭数は十分とは言えません。
すさみ町では新規のホテルも開業しており、ポストコロナ時代に向け、観光業へのイノブタ肉の需要も高まると考えられます。
また、県外からのお客様に安定的にイノブタ肉を提供できるような体制が構築できれば、産業として更なる発展が期待でき、地域雇用の拡大も期待できます。
イノブタはすさみ町の特産品です。これからもイノブタ肉のアピールや、生産拡大につながるような研究に取り組み、地域に貢献したいと考えています」
少し古い話ですが、2012年にはイノブタのモモハムがプレミア和歌山推奨品で最優秀となる審査委員特別賞を受賞。またキリンビール「選ぼうニッポンのうまい!2013」キャンペーンでイノブタのハム、ソーセージ詰め合わせが全国ナンバーワンも獲得しています。
幼いころから興味を持ちながら実は私、いまだイノブタを味わったことがありません。大阪にはイノブタ料理専門店もあるようですし、今回の取材を機に、自分へのご褒美のお歳暮として発注してもいいかな、と考えています。