「おくりびと」という映画があった。
2008年に制作され、モントリオール世界映画祭グランプリ、アカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画だ。国内においても評価された作品だが、海外での評価が高かったのが印象的であった。そして13年の月日を経て、中国で「おくりびと(中国題・入殮師)」4K修復版が先月29日から上映を開始、異例のヒットを続けている。興行収入ランキング(11月15~21日)で10位、トップ10入りは4週連続となった。
主人公が「納棺師」という死者の旅立ちのお手伝いする仕事に就く話であるが、元になったのは青木新門氏の「納棺夫日記 増補改訂版」(文春文庫)だ。
ただ、映画の原作としてはクレジットされていないし、そもそも「納棺夫日記」は純粋に小説とはいえなく、日記の形式をとっているものでもない。職業上の現場体験に基づいたノンフィクションと仏の道からの視点を交え日本人の死生観について書かれているのだが、そのあたりが映画化されたときに海外からの高い評価を受けたのではないだろうか。(もちろん監督・脚本・俳優陣などが素晴らしいうえでのこと)
特に「納棺夫日記」を読み進めていくとわかるが、青木新門氏が浄土真宗、親鸞聖人に傾倒していっており、多くの現場体験と仏教思想が重ねられていく。その内容は浄土真宗あるいは仏教について少し学んだことがある人でないとわかりにくいものかもしれない。特に「第三章 ひかりといのち」は「無量寿」(無限につづくいのち)「無碍光」(すべての場所を照らすひかり)を軸に親鸞聖人の教えを中心に書かれている。
また、それに加えて現代の仏教や寺院、医療現場についても考えを述べられている。少し「納棺夫日記」から引用させて貰うと「生死の現場のぎりぎりのところに立つことのない宗教界の現状と、肉体の生にのみ価値を見る延命第一の医療現場との狭間に生じる根の深い問題」について事例をあげて触れておられる。
映画のほうはというと少し違うが、「生死」(せいし:生と死を分け隔てて捉える)と「生死」(しょうじ:生と死を一つのもの、表裏一体として捉える)の違いについてなどを扱いながらも、そこに家族間の結びつきや単身者の孤独死をテーマとして加え、ストーリーが進んでいく。はじめは家族から納棺師の仕事を穢らわしいと言われてしまう場面、死から目をそらそうとする人たちとの対峙があるが、納棺の現場を一緒に体験することによって家族の納棺師という職業への理解が深まる。
そして、幼い頃に別れた父が単身で質素な生活を送ったうえ死んだことを告げられて、その遺体と対面し、父への納棺の儀礼的パフォーマンスを行う。それによって父子のか細い繋がりを最後に確認することができたのだ。
ところで、青木新門氏によると、「ひかり」は単なる例えなどではなく、臨終の際など特定の場で実際に味わうことができるものであるという。「超日月光」というくらいなので日の光、月の光を超えたもので、見えるというよりは感じるものなのだろう。私は今年、家族の臨終に立ち会ったのだがその際に「ひかり」を感じることはできなかった。いつか自分自身の往生のときに際しては親鸞聖人のいう「不可思議光(ひかり)」に出会うことができるのだろうか。