〈栄えある皇國に生を承け…〉で始まるその手紙は、ツイッターユーザーのJunW(@willmonia)さんの祖父の誠さんが戦争末期にしたためた遺書でした。戦後は多彩な趣味を楽しみ、孫たちに優しかった祖父からみじんも感じられなかった戦争の一面。〈大君の御為に吾は死す 無上の光栄そ〉〈今日までの慈愛を心から感謝す〉。現代の私たちの想像が及ばないほど、死が身近にあった時代、決意がほとばしるような文面を、若かりし誠さんはどんな気持ちでつづったのでしょうか。
「祖父が戦争末期、20歳の時に書いたと思われる遺書が見つかった。今まで残ってるのがすごい。(略)様々な感想が出てくるけど、孫の身からすると、生きていてくれて本当に良かったとまず思う。」
JunWさんが公開した祖父の遺書がSNSで拡散しています。達筆な文字で〈己の日常生活の至らざるを深く恥す〉〈賎しき命長らふは今日あるか為なり〉などと記され、文末に名前の「誠」の文字。画像には、遺書以外に、「髪」と記された包み、「宮崎神宮御守」「とげぬき地蔵尊 御影 東京巣鴨」のお守りも写っています。
祖父誠さんは大正15(1926)年生まれで、2005年に亡くなりました。遺書は、2021年に祖母が亡くなり、実家の片付けをしていた時に祖父の机から見つかりました。「誠」の名が記され、数えの20歳がちょうど敗戦の年。「祖父が勤めていた会社の封筒に入っていました。祖母が遺品整理をして置いたのだろうと思います」とJunWさんは語ります。
家族の話では、学生時代の誠さんは文学青年で作家を目指していたそうです。徴兵検査で不合格となり、戦地に行くことはありませんでした。誠さんはどんな思いでこの遺書をしたためたのでしょうか。「身近な祖父が若い20歳の時に命捨てる覚悟をしてた現実を知ると、怒りを覚えるし二度とこういうことを繰り返してはいけない」ともツイートしたJunWさんに聞きました。
―誠さんの遺書を見た時は
「驚きました。自分の知る祖父は、国のために命を捨てる…というよりは日々を楽しく趣味に生きる人に見えたので。当時は新宿に住んでいましたが、宮崎神宮や地蔵尊との関係もわからないです」
―どんな方でしたか
「演劇や日本舞踊をやったり、映画をたくさん見たり、絵画を描いて個展を開いたり、夕方決まった時間にピアノを弾いたり、趣味に時間を費やしているように見えました。『ヒカルの碁』で囲碁に興味持った自分に囲碁を教えてくれたり、麻雀を教えてくれたり…。孫や娘にとにかく優しいユーモアのあるおじいちゃんでした」
―戦争のことは
「母に聞いたところ、戦時下の話は全くしてくれなかったようです。ただ『自分の人生は戦争で一度終わってる』と、よく話していたそうです。自分にとっては祖父と過ごす時間は幸せで楽しい時間でした。戦争に関する質問でその雰囲気を壊したくないと思い、聞いたことはありませんでした。今なら聞いたんでしょうけど…」
若き日にしたためた遺書を戦後ずっと保管していたことに理由はあったのか、言葉にしなかった思いを子や孫に伝えようとしたのか。確かめるすべはありません。JunWさんは「『人生を楽しく生きる』というのが祖父の生き方に見えました。かなうことなら、国のために命を捨てると覚悟した当時から何があってその生き方に至ったのか尋ねてみたいですね」と話しています。