31日投開票の衆院選、かつて政治の世界に身を置いていた豊田真由子が、選挙と政治のリアルを徹底解説する。今回は前編。「与野党の対立」に注目が集まりがちだが、熾烈でドロドロした争いが自民党内にあるという。
◇ ◇
真におそろしい敵は同じ政党の中にいる
前回のコラム「衆院選、公約を考えるときのポイントとリアル“野党共闘の脅威”」では、衆院選で投票する際の判断基準のひとつとして、各党の公約を考えるときのポイントや野党共闘について述べました。今回は、選挙と政治のリアル“本当の敵は同じ政党の中にいる”について、考えてみたいと思います。
読者の方は、「同じ政党に属する者同士は、仲間」だと思ってらっしゃいませんか?とんでもない、むしろ、他党の敵より、真におそろしい敵は同じ政党の中にいるのです。
どういうことでしょうか?
国政選挙というと、通常は選挙が始まってからの「与野党の対立」が注目されると思いますが、実は、ある意味、それ以上に熾烈でドロドロなのが、公認候補を決めるまで、そして当選後も、国会や地元で延々と続く、同じ政党の中での争いです。そういう意味では、「自民党の敵は自民党」なんです。
「公認」というのは「その党の候補者として、正式に認められ、選挙に出られる資格」であり、公認が得られなければ、党からの応援も公認料も、地元での党関係の支援も一切ありません。無所属で出馬した場合は、比例復活もできませんから、トップで当選しないかぎり、国会に行くことはできません。(政党の公認候補の場合、例えば、1位の対立候補の半分程の得票しかなくても、比例復活で当選できたりします。)
また、選挙の際には、様々な多くの団体が、候補者のうち一人だけに「推薦」を出すのですが、それは基本的に「どの党の公認候補か」によって決められます。
このように、党の公認候補になれるかどうか、というのは、まさに、天と地ほどの違いがあり、選挙における最重要の生命線、スタート地点といえるのです。
だとすれば、そこに熾烈な戦いが起こらないわけがありません。まさに「殺るか殺られるか」、権謀術数渦巻く政治の世界は、本当におそろしいのです。
かつての中選挙区制の下では、一つの選挙区に複数の議員が当選するため、同じ政党から複数の公認候補が出て戦いました。この制度の下では、巨額の資金を投じて、選挙で各派閥が熾烈な戦いを繰り広げるといったことも問題となり、1996年から小選挙区制に変更がなされました。
されど、政党内での争いは、場面を変えて、すなわち、「選挙」での戦いから、「公認」を巡る戦いに形を変えて、変わらず行われているのです。
激烈な争いがあったケース
今回の衆院選で激烈な争いがあったケースをいくつか見てみます。
山口3区では、当選10期の河村建夫元官房長官(二階派)が再選を目指していましたが、最終的に、参議院から鞍替えした林芳正元文部科学大臣(岸田派)が公認候補となり、さらに河村氏の長男健一氏は、当初予定された比例単独中国ブロックから、直前に比例単独北関東ブロックに移されました。
ちなみに、山口県は、この次の衆院選から選挙区が一つ減る予定で、現在の安倍晋三元総理、岸信夫防衛相、林芳正元文科相、高村正大氏の公認調整が、今後一体どうなるのか、大きな火種を抱えることになります。
群馬1区では、公認候補が、尾身朝子氏(細田派)から、比例区選出の中曽根康隆氏(二階派)に替わり、尾身氏は比例単独北関東ブロック1位に登載となりました。群馬1区は、父の尾身幸次元財務相の中選挙区時代の地盤であり、一方、中曽根氏の父は中曽根弘文元文科相(現参議院議員)、祖父は中曽根康弘元首相で、元首相は1996年の小選挙区導入に当たり、比例代表の終身1位と引き換えという党との約束で、小選挙区からの出馬を見送ったところ、2003年に「比例代表候補は73歳未満」とする党ルールの導入で梯子を外されたという、それぞれ、どちらも絶対に譲れない事情を持つ戦いでした。
どちらの選挙区も、派閥の領袖が、各々の候補の公認を求めて地元に応援に入り、激しいバトルが繰り広げられました。小選挙区制の導入で派閥の力が弱まって久しい、と言われますが、こうした党内抗争において、議員が頼りとするのは、やはり派閥で、そういう意味では派閥の果たす役割というのは、今も決して小さくありません。
北海道7区、新潟2区、静岡5区等では、自民党の現職の国会議員同士が、福岡5区、長崎4区等では、現職の国会議員と県会議員が、公認を巡って激しく争いました。(これらは、大きく報道されている選挙区ですが、もちろん、他にも、表に出ない争いというのは、たくさんあります。)また、東京15区では、二人の候補に推薦を出し、勝った方を、当選後に公認する方向です。
公募で選ばれた一般人の候補者は、すごく苦労する
閣僚経験者や有力な世襲の家系でもこうなのですから、いわんや、「普通の」議員や候補が、安泰の身でいられるわけもありません。ほとんど表には出ませんが、公募で選ばれた候補や当選した議員に対し、特に地元で様々な謀略や苛烈なイジメが、延々と続くこともよくあります。“スキャンダル”で失墜する議員の中には、政敵に撃たれた人も、決して少なくありません。
世の中に大きな誤解があるように思うのですが、若手の国会議員や候補者なんて、ちっとも偉くも何ともありません。実質的にも、もちろんそうですし、周りからの扱われ方という意味でも、そうです。特に「有力者一族ではなく、有力議員のバックアップもない、新人の候補者」なんて、地元の政界では、最下層の位置付け、「いじめられっこ」なんです。
地元の実力者たちからすれば、「公募で党の県支部が勝手に選んだ候補を、なんで俺たちが応援しなきゃならないんだ。」、「こっちは地元で何十年もやってきてるんだ。何も知らない若造に国会議員で上に立たれるなんて、冗談じゃない。」、「カネも利権も持ってこないヤツを応援して、一体何の得があるというんだ」といったようなことで、どれも政治の世界では、今も、重要な行動原理に基づく当然の発想なのです。
これには、ある意味仕方のない面もあると思います。「公募」というのは、広く開かれた政治を目指して導入された候補者選定制度ですが、政党の都道府県支部が実施するので、地元(市区町村支部)の方たちからしたら、「実際に候補者を当選させるために、一番動かなきゃいけないのは自分たちなのに、蚊帳の外に置かれている。自分たちで選んだ候補者じゃないし、何の恩義もないヤツを、応援する義理は無い。」という思いが強くあります。また公募の候補者は、実は、当選するまでは、党からは基本「放置」されるというか、こまやかに面倒を見てもらえると思ったら大間違いで、たったひとりで選挙区に放り込まれるといった感じで、こうした諸々から、公募で選ばれた一般人の候補者は、すごく苦労する、というのはよくある話です。
さらにややこしいことに、同じ公募に、地元の首長や県・市議会議員が応募している場合も少なくありません。その方たちからしたら、「お前がいなければ、自分(や自分の子ども)が、国会議員になるはずだったのに!」となり、候補者に対しては、恨み・憎しみしかない、ということになります。地元の実力者であるそういう人たちが、そうした思いをそのまま行動に移したら、どうなるか。
・・・まさに「自民党の敵は自民党」です。