なぜ、日本は「ワクチン後進国」なのか? 豊田真由子が思う「理由」と「背景」

「明けない夜はない」~前向きに正しくおそれましょう

豊田 真由子 豊田 真由子

新型コロナウイルス感染症の収束に向けた鍵のひとつは、ワクチン接種です。しかし、日本の国産ワクチン開発はなかなか進まず(行われてはいます)、そして、購入を約束していた海外メーカーのワクチンは、(当然に予想されたことではありますが)世界で争奪戦の様相を呈しており、新型コロナワクチンが日本国内に入ってくるのは、当初の予定より大幅に遅れることが判明しました。

こうした中で、「日本は世界有数の科学技術・経済大国であるはずなのに、どうして、国内でワクチンが製造されず、輸入に頼らなくちゃいけないの?国や国内のメーカーは、何をしているの?」というご質問を受けます。

実は、これには、歴史的経緯に基づく、日本の特異な事情があります。物事は、なんでもそうだと思いますが、「ある特異な状況が生じるには、相応の理由・背景があり、その状況を解決するためには、その理由・背景がなんであるかをきちんと知り、そこから根本的に対応していく必要がある」と思いますので、そこを明らかにしていきたいと思います。

(※「ワクチンの効用とリスクを考える」(2020年12月4日)も、併せてご参照ください。)

主な理由として、以下のようなことがあります。。

(1)1970年代からのいわゆる「予防接種禍」の帰結として、国、国民、メディア、メーカー等が皆、予防接種そのものについて消極的になり、国内の開発・製造力が、極めて限定的になった。

(2)新興感染症への対応は、国家の危機管理の問題であり、ワクチンは、国と国民を守るための国防のひとつでもある、という意識が欠如している。

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(1)予防接種禍を受けた流れ

日本は1980年代まで、世界的に見てもワクチン開発国のひとつでした。しかし1970年代以降、種痘(天然痘)ワクチンによる脳炎や、DPT(ジフテリア・百日咳・破傷風三種混合)ワクチン、MMR(麻疹・流行性耳下腺炎・風疹新三種混合)ワクチンによる無菌性髄膜炎など、重篤な副反応の報告があり、ワクチンへの不信感が広まっていきました。

そして、国の責任や補償について、各地で集団訴訟が相次ぎ、裁判は長期化。結果として、国側の敗訴あるいは和解となり、「予防接種は効果の少ない一方で、副反応が多発するこわいもの」という、正しくない認識が、国民のみならず医療者の間にも定着してしまいました。特に予防接種は、乳幼児を中心にしたものでもあり、保護者の間に、子どもにワクチンを受けさせたくない、という考えが広まりました。

こうしたことにより、国は予防接種に消極的になり、以降、ワクチン政策はほぼ止まってしまいました。1994年の予防接種法改正により、接種要件が「義務」から「勧奨」接種へと緩和され、接種形態も「集団」から「個別」接種へと、移り変わっていきました。このような状況を受け、それまで世界に先駆けて、水痘や、百日咳、日本脳炎ワクチンなどの開発に取り組んできた日本の製薬業界も消極的となり、国内での新たなワクチンの大規模な開発は、ほとんど行われなくなりました。

2000年代に入っても、日本脳炎ワクチン接種後の急性散在性脳脊髄炎(ADEM)発症やHibワクチンと小児用肺炎球菌ワクチン同時接種後の死亡事案、子宮頸がんを予防するHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンの接種勧奨差し控え等の事例があり、ワクチンの負の面を強調する報道もあり、国民の不安は増大しました。

もちろん、実際に重篤な副反応で亡くなった方・苦しむ方とご家族にとっては、本当に取り返しのつかないことであり、甚大な苦しみであり悲しみです。『ワクチン接種によって、重篤な副反応が発生する確率は高くはない(数十万人・数百万人に一人程度)』といっても、ご本人とご家族にとっては、それは『1分の1』、人生のすべてなのです。公的な救済も必要ですし、耐え難い苦しみを、広く伝え、理解を深めていくことも、とても大切です。

ただ、そのことと、社会全体におけるワクチンの効用を否定することは、やはり、分けて考える必要があります。一般的に、ワクチンを接種することで、一定程度、個人の感染を予防する・重症化を防ぐことができ、公衆衛生の観点からは、ワクチン接種により地域や国で多くの方が免疫を得ることで、感染拡大を抑えることができます。

ワクチンを接種しなかったことで、「接種していたならば失われなかった命」が失われ、「接種していたならば救えたはずの重症化や後遺症」が生じます。

我が国では、麻疹、風疹、水痘、おたふくかぜなど「ワクチンで予防することができ、他の先進国では、ほぼ制圧された疾患」の流行が繰り返されています。これを日本人が旅行等で海外に持ち込むため、例えば海外メディアで「日本は麻疹の輸出国」などと非難・揶揄されることがあります。

これは、「感染症の発生動向を監視し、ワクチンによって感染症をコントロールするという戦略そのものの考え方」の問題ですから、当然、新型ウイルスによる新興感染症への対応についても、この流れが続くことになります。

2010年6月、新型インフルエンザ(H1N1)パンデミックを受け、専門家による対策総括会議は「ワクチン製造業者を支援し(略)生産体制を強化すべき」と結論付けました。国内のワクチン生産力は著しく衰えていましたので、政府の資金的支援が必要でしたが、実際に行われたことは逆でした。国の研究機関における基礎研究と、民間企業の開発応用を、資金的に橋渡しする財団が、いわゆる『事業仕分け』の対象となり、国として研究開発をサポートする仕組みは機能しませんでした。

今、日本で新型コロナワクチンが手に入らないことには、こうした経緯・理由があります。したがって、こうしたことを踏まえた上で、では、一体、今後どうしていくことにするのか?

「ワクチンには、態様・頻度は様々であるが、避けがたい副反応が出ることがある。リスクをゼロにはできない。それでも、ワクチンには、個人・社会の感染を防ぐ、死者・重症者を減らすという重大な効用がある。だから、希望する人がワクチンを使用する。」ということの意味を、改めて、考えるべきときだと思います。

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