これまで、フルタイム勤務からフリーランス時まで様々な働き方をしてきました。上の子26歳、下の子は小学校5年生。途中途中で「ちきしょー、アレコレ言うなッ」と頭に血がのぼったことも数多くあります。何か言われて傷ついたワーママの気持ち、一緒に共有してみませんか。
ワーママへのひと言に怒り!「憤慨語録」
▽「母親がいなくて淋しいから注意をひきたくて、いたずらするのよね」
小学校に入れた途端にクラスでちょっとしたトラブルがあった後に言われました。保育園ではなかった「トラブルの矛先」に驚きとともに怒りを覚えました。(Sさん/7歳の母)
◇ ◇
▽「こんな小さいうちから人に預けるなんて」
姑に言われた。その後、親戚とか、自分の親にまで言われた日には、もはや怒る気力も失せました。未満児を保育園に預けると風当たり強いですね…。(Hさん/6ヶ月の母)
◇ ◇
▽「子育ては今しかできないのよ、仕事はいつだって出来るでしょ」
学生時代からの友達(彼女がちょっと先輩ママ)が普通に言っただけに、怒るというより「こういう考え方をする人が今だに多いんだな」と溜め息が出ました。(Eさん/4歳と6歳の母)
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▽「3歳までは母親自ら育てないと愛情不足でキレやすい子に」
たまたま近くの公民館で開催されていたので参加してみた某教育者のセミナー。女性も働く時代と言いつつ、少なくとも3年間は育児に専念すべき、さもないとキレる子どもになるかも的な話に、失礼かとは思いましたが途中で席を立ちました。こんなセミナーなら、ため込んでる洗濯物やってたほうがマシ。(Oさん/2歳の母)
ワーママを不安にする呪縛の言葉は辛いもの…
こうしたワーママに対する様々な発言の中でも、スルーできるものとできないものがあります。特に言われたときは「ムカッ」ときただけなのに、なんとなく胸にひっかかり、次第にムクムクふくれあがってワーママを不安にさせる「呪い」が、下記のようなことを意味する「ひと言」です。
「仕事は誰か別の人が出来るけど、母親の代わりはいない」
母親が働いているせいで子どもは淋しさを感じて、だから不安定になるといったような指摘も同じ趣旨ですね。
この呪いの怖さは、ジワジワとくるところです。冷静に考えているつもりでも、無意識のうちに「子どもに対する罪悪感」を浮き上がらせ、ボディーブローのように効いてくるのです。
…私もそうでした。
「やっぱり働いているお母さんの子はダメなのかしら」
「仕事をやめれば、こんな事にはならなかったのかしら」
どれだけの自信や覚悟があっても、子育てのいくつものシーンの中で、私も何度も何度も揺れて揺れて、膝をついて崩れ落ちて、そのまま頭をたれて「降参しました」と言いそうになったのです。
保育園の入り口で火がついたように「ママ、ママ」と泣かれた時。泣き叫ぶ子を振り切り駅へ小走りになりながら、なんだかこちらが泣きたい気持ちに襲われる。ワーママなら1度は経験する事でしょう。
小学生になって、忙しさのあまり「頼んでおいたのに、家庭科の布は?」と言われ焦りまくった事もあります。この日はどうしても抜けられない仕事があり、連絡帳に私が買い忘れた事を記入したのですが「先生からは怒られなかったけど、誰か分けてあげてってみんなの前で言われてイヤだった」と不機嫌にポツリポツリと子どもが語った時には申し訳なさで一杯になりました。
学校周辺で事件が発生し「親のお迎えがないと帰せない」と連絡があった事もありました。夫は出張中、子どもを預けられる間柄の家もその子が風邪でお休み中で頼めず。結局わたしが迎えに行った時、引き取り場所の体育館はまっ暗でからっぽ。あわてて職員室へ行くと、先生の横に座って宿題をしていました。「最後のひとりですよー。よかったね、お母さんだよ」なにげなく言った先生の一言がグサリときました。最後のひとり…子どもはどれほど不安だったでしょう。
ママを支える「魔法の言葉」を思い出して
「職場なんてあなたの代わりはいくらでもいるのよ、でもあの子のお母さんはあなただけなのに」
そう言った実母の言葉が何度わたしをグラつかせた事でしょう。思った以上に苦しかったのは、私の働く母親としての足もとをつかんで揺さぶるような、そんな「記憶から消えない」罪悪感を招く言葉でした。もしかしたら、グラグラと揺れることも、あなたにもあるかもしれない。
でも、揺れても倒れないことです。ワーママはしなやかに強くなるしかありません。
どう考えたって忘れた私が悪い「家庭科の布事件」だって、さて26歳の社会人になった長男は笑い話にしています。最後のひとりで不安そうな顔をしていた事は、「覚えてないな」とケロっと言うではありませんか。
いいえ、もしかしたら覚えていて「そんな事あったっけ」と長男は言ってくれているのかもしれません。もうそうであれば、どうだ、私の子育て、間違いだらけ失敗だらけだったけど、母を思う優しい子になってくれたぞ!と胸をはりたい気持ちです。
本当に覚えていないとしたら、逆にやっぱり「たいした事じゃなかった」のです。「ひとりで淋しく思った時間も絶対にあったはず」だけど、それ以上に、ほとんど強迫的に(笑)うちは元気で楽しい一家、と開き直ったのがよかったかもしれません。資料とスーパーの袋を抱えてズルズル鼻水垂らしたままの子をひっぱりながら帰宅して、惣菜コーナーの料理を並べながらも「みんなで食べればなんだって美味しいんだよ!」と。
憎悪を抱くような攻撃的な言葉なら、遠慮なく言い返していいのです。でも、何かに反感を持つのもエネルギーがいるのです。それでなくたって忙しいのですから。やれやれ、そんなモンスターを相手になんかしていられません。
大丈夫。どんな事を言われても、結局その人はあなたの家庭についても、ましてや親子の関係も本当に理解しているわけではないのですから。それより、悪気のない程度なら「ひとつのアドバイス」「そういう意見もある」と軽く捉えていきましょう。
ワーママであるからこそ、身構えすぎずに「どうかな?」とちょっと考え、ううん違う、間違ってるわ、関係ないかな、と思ったなら「その場で頭の中から掃き出して」しまいましょう。ブームになった断捨離ですが、捨てるべきは「思い出したくない“あの時言われたあの言葉”」です。
それから、ちょっと落ち着いて考えてみましょう。もしかしたら、保護者会でちょっと立ち話しただけのママ友に、夜遅くに帰宅した夫に、あるいは子ども自身から、小さな励ましやがんばってるねという言葉、大切なメッセージを受け取っているのかもしれません。
一番大事なのは、くだらない「ワーママへの反感や反論」にとらわれて、贈られた大切な言葉の方を忘れてしまう事です。
「ママありがとう」
「ママ大好き」
夫がふいに漏らした感謝の言葉。母の日やお誕生日に書いてくれた「つたない手作りのカード」。働くお母さんを本当に支える一言はそこにあるのですから。