96年広島ドラ1右腕・長谷川さん、グラブ修理のスペシャリストに「野球への恩返しを」

あの人~ネクストステージ

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 昨年はコロナ禍でほとんど開催できなかったそうだが、日本プロ野球OBクラブの一員としても少年野球の指導に携わる。午前中は子供たちを教え、午後は地域の野球チームと対戦。元巨人の桑田真澄氏、元ロッテの村田兆治氏、元中日の谷沢健一氏らそうそうたるメンバーに交じって、長谷川さんがマウンドに立つこともある。

 「やっぱりマウンドに上がると血が騒ぐんです。相手はアマチュアの方ですが、ガチの勝負です。いい球を投げたいし、絶対に打たれたくない。スピードは120キロぐらいしか出ませんが、先輩方からは『現役時代よりもコントロールが良くなっている』と言われます」と笑う。自宅では腕立てなど筋トレにも励んでいるという。

 いずれは学生野球資格回復制度の研修会を受講して、学生野球の指導にも携わりたいという思いはあるが、「まだ自分の中でしっかりとした教え方が確立できていない。野球理論をもっと勉強して、投げ方を教えるだけでなく、なぜこういう投げ方をすればいいのかまで、きちんと説明できるようになってからだと思っています」

 引退から10年。紆余(うよ)曲折もあったが、今は野球に関われる日々を幸せに感じている。「プロ野球の世界では限界が見えましたけど、野球の限界はまだまだ先にあると思っています。子供たちに野球の楽しさだったり、道具の大切さを教えていきたいし、最近は野球人口が減っているので裾野を広げていくことも自分にできる野球への恩返しだと思っています」。真剣なまなざしで思いを語った長谷川さん。真摯(しんし)に野球に向き合う姿勢は現役時代と同じままだ。

(まいどなニュース/デイリースポーツ・工藤直樹)

【現役時代の思い出】
カープ低迷期に主軸投手として先発、中継ぎに奮闘した長谷川さん。現役時代の一番の思い出に挙げたのは02年10月のシーズン最終戦、神宮でのヤクルト戦だった。その試合は“ブンブン丸”池山隆寛さんの引退試合でもあった。長谷川さんは1-1の九回から救援。十回表に広島が勝ち越し、その裏2死、池山さんに最後の打席が回ってきた。

 「ベンチからの指示もなく、自分がどんな球を投げたらいいのか迷いました。ただ、池山さんの代名詞といえばフルスイング。変化球よりも自分が目いっぱい投げた球を目いっぱい振ってもらうのが一番いいと思って、全球真っすぐをど真ん中に投げ込みました」

 結果は3球三振。豪快な空振りで池山さんは現役生活を終え、長谷川さんはシーズン13個目の白星を手にした。「勝って良かったというより『池山さん、お疲れ様でした』という気持ちでした。(力と力で真っ向勝負する)“野球の原点”を思い出させてくれた対戦でもあり、今もあの場面は鮮明に思い出されます」と懐かしんだ。

◆長谷川昌幸(はせがわ・まさゆき)1977年7月16日生まれ。茨城県神栖市出身。現役時代は右投げ右打ちの投手。身長185センチ、80キロ。市立銚子高から95年度ドラフト1位で広島に入団。2年目の97年にプロ初登板初先発勝利を挙げる。02年にはチームトップの13勝(10敗)をマーク。10年途中にオリックスに移籍し、11年限りで引退。通算成績は209試合、42勝61敗0セーブ、防御率4・44。広島市在住。

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