「巨人史上最強の5番打者」と呼ばれ、V9時代の後半は代打の切り札だった柳田真宏さん(本名・俊郎=72)は現在、東京・八王子市でカラオケスナックを営んでいる。その名もズバリ「まむし36」。コロナ禍の自粛要請で大打撃を受けたが、歌手活動も続けており、自慢の喉はいまなお健在だ。
JR八王子駅北口を出て5分ほど。新設歩道橋を降りて七夕の飾りつけをした歩行者専用道路を抜けると、やがて「まむし36」の看板が見えてくる。マムシは言わずと知られたニックネーム。タレントの毒蝮三太夫さんに似ていることからつけられた。36はもちろん、愛着のある背番号だ。
アポを取り、開店前に扉を開けると柳田さんはマイクを握り、増位山太志郎の「酒みれん」を歌っていた。演歌好きな私には堪らない演出だった。
「空元気ですよ。歌ってないと衰えますからね。3月に入ってからほぼ収入なしの状態。ここに来て友人が顔を出してくれていますが、本当はコロナで完全に落ち込んでいたんですよ」
太い眉に特徴のあるほお骨は昔のまま。白黒ハッキリつけたい生き様も変わらない。自粛要請には腹に据えかねるものがあったようで、一気に怒りを捲したてた。
「中途半端は嫌い。野球でもメジャーは間髪入れずに退場でしょ。コロナもブロックが一番。すべて歯止めをかければいいんです。しかし、完全に店を閉めさせるとお金(給付金)を出さないといけないから自粛なんでしょう。生殺しもいいとこです」
現役時代は国松彰打撃コーチと取っ組み合いの喧嘩をしたこともある。同郷熊本出身で「神様のような存在だった」川上哲治監督が仲裁し、その場は収まったが、その後、これまた同郷の古葉竹織監督率いる広島へのトレード志願も脳裏をちらついたという。
「代打ばかりでいつになってもレギュラーになれない。イライラしていました。ボールは見えるがバットが出ない。イップスにもなった。そんなとき、広島戦となると古葉監督がカープのユニホームのネームの部分をふって“ウチ来い”とサインしてくるんです」
それを踏み止めさせてくれたのが「世界のホームラン王」である王貞治(現ソフトバンクホークス会長)のひと言だった。
「王さんから“お前は凄い。1打席で決められるんだから”と褒めてもらって。王さんにもできないことができるんだと思ったら、その気になっちゃったんですよ」
プロ11年目の1977年には規定打席に初めて到達。打率・340、21本塁打をマークし、長嶋茂雄監督から「巨人史上最強の5番打者」の称号を与えられた。
34歳で引退後は作曲家の市川昭介さん(故人)の勧めで歌手デビューした。38歳のときには六本木でクラブを経営。これまで14枚のレコードを出している。
「市川さんからは歌は“腰”で歌え、と教えられました。その意識で歌うと腹から声が出て、喉に負担が掛からない。お客様にも間の取り方、詞の意味を知り、思いを込めて歌うように教えています。歌からは離れませんね」
もちろん、巨人への感謝は忘れない。「昔、黒江(透修)さんが店が満タンになるほどのお客さんを連れてきてくれたことがある。いまでも巨人情報は、お客さんに受けるので巨人パワーは健在ですね」
プロ野球もようやく開幕。巨人は好スタートを決めた。そんな中、柳田さんは4番に座る“若き主砲”岡本和真にぞっこんだ。
「彼が2軍にいるときに“お前は2軍いるバッターではない”と言いました。これまでONをはじめ、優れたバッターを目の前で見てきましたからね。巨人の4番を張る男とすぐに見抜きました。50本(塁打)は打てる」。マムシの眼光が鋭くなった。