小学校高学年の保護者から、「友達との関係に悩んでいる」というお悩み相談をいただくことがあります。具体的には、「本人は悪気なく言った一言で、友達が怒ってしまったり、泣いたりしてしまう」「そこまで言わなくていいようなことまで、つい口に出してしまい、嫌われてしまった」などです。
小学校低学年におけるこういった失敗経験は「友達との関係を学ぶ」ことにおいては大切な通過点であると言えます。しかし、小学校高学年になると、「相手の気持ちを考えて、嫌な気持ちになることは言わない」「他の言い方で、やんわりと伝える」などのスキルが上がってきているはずです。
もし、お子さんにこういった友達関係に問題を生じる場面が頻繁に起こる場合は、「表現の仕方が分からない」あるいは「こう言うと、相手はどう思うか、ということが分からない」といった発達特性が原因となっているかも知れません。
今回は、「相手への伝え方がよく分からない」「人の気持ちが分かリ辛い」というお子さんの特徴と、保護者の方ができる対応方法についてご紹介します。
特徴①本人には全く悪気がない…裏には「人への関心の薄さ」も?
例えば、髪を切ったお友達がいたとします。前の髪型のほうが似合っていた場合、小学校高学年であれば、「この髪型も似合っているね」など「言われたら嫌な気持ちがすることは言わずに、別の表現をする」という方法を選択します。
しかし、「こういうと相手がどう思うか?」に気付かないお子さんの場合、「前の髪型の方がよかった」や「似合ってないね」など、自分の思ったことをそのまま口に出してしまいます。本人は全く悪気がないので、自分の一言によって相手が怒ったり、悲しんだりする姿を見ても、「なぜ怒っているのか」が分からないこともあります。
こういった表現となる理由として「人への関心の薄さ」が挙げられます。「こう言うと人はどう思うのか」と考える根本には「人への関心」があります。人への関心があることは、人の反応を観察することにつながり、やがてそれが「相手の気持ちをおもんぱかる」「相手の立場でものを考える」ということを学んでいくことにつながります。
反対に、人への関心が薄いお子さんの場合は、自分の表現によって相手がどう反応するかということを学ぶ機会が少なく、それがより「人への関心の薄さ」を助長することにもなります。
特徴②相手が怒ったり泣いたりしていることには、不安を感じる
人への関心が薄いからといって、相手が怒ったりしても気にならないかというと、そうでもありません。そもそも悪気がないわけですから、自分の発した言葉(傷つけた言葉)で、友達が怒ったり泣いたりすることに対しては、「どうして?」と不安になります(自分が言う→友達が怒るという因果関係が分かって不安になるのではなく、「友達が怒っている」という現象で不安になるのです)。
不安が高まってくると、「どうして怒るの?」とつい相手に言ってしまい、それによって余計に相手を怒らせてしまう、というループに陥ってしまうこともあります。
人への関心が薄い=自閉スペクトラム症とは限らない
一般的に自閉スペクトラム症の特徴として「人の気持ちが分かりづらい」「自分と人との関係構築の仕方が分からない」ということが挙げられます。だからといって、「じゃあうちの子は自閉スペクトラム症?」と決めつける必要はありません。自閉スペクトラム症であろうと、ボーダーラインのお子さん(診断がつかないけれど生きにくさがある子)であろうと「人の気持ちに気づきにくい」ということにどう対処していくか考えることのほうが大切です。
発達支援の現場では、多くの保護者の方が「発達障害の診断がつくか、つかないか」で悩まれます。しかし、診断が付くかつかないかで、お子さんへの対応手段が変わることはありません。例えば虫歯だと診断の有無によって対処方法(治療するか必要がないか)が変わるでしょう。それに比べて、発達障害は「お子さんの困りごとに対して、どう手立てを考えていくか」が何より重要になります(薬によるコントロールが効果的な場合や、診断名がつくことで周りの方の理解を得られたり、保護者の方が「自分の子育てが間違っていたからではない」と安心できたりするのであれば、診断が付くことは効果的だと言えます)。
そのため、今回のお話のように「人への関心が薄い」「人の気持ちに気づきにくい」という課題を持ったお子さんに対して、障害があるかないかを結論付けるのではなく、どのような対処方法を考えていくかが大切になります。
「繰り返し言って聞かせる」、「人の気持ちに敏感に気付けるようになることを目標にする」といった対応は効果的ではありませんので注意しましょう。また、発達障害を改善させる、という言葉を聞くことがあると思いますが、そもそも「障害」は改善させる・させないというようなものではありません。社会の中で少しでも上手く生きていく手段を見つけることにこそ、取り組む意味があるのです。