子育てをしていると、我が子の行動につい口が出てしまう…という経験、ありませんか? さほど教育熱心でもないし、自由な方…と思っていても、良かれと思ってする声掛けが実は「隠れ過干渉」になり、子どもの主体性や自ら考える力を育む妨げになっていることもあるといいます。そんな「失敗」から新たな活動を始めた男性に話を聞きました。
その人は河合義徳さん。有限会社バックステージ代表として中小企業を中心に企業のコンサルティングや意識改革を促すセミナーなどを手掛ける傍ら、スコアに現れない「やる気」を評価する私設バスケ応援団「躍心JAPAN」の団長として活動しています。
「小さい頃は何をしようと放任だった」という一人娘への接し方が変わったのは、娘が小学2年で始めたバスケットボールがきっかけでした。
娘はプロの試合を見て「人を感動させる選手になりたい」と、厳しいことで有名な地元のミニバスチームに入団しました。監督の指導方針は生活態度も含め全て「自分で考える」こと。ミスをしても、負けても、うまくなりたいと言っても「次はどうする?」「うまくなりたいなら自分で獲りに来い」と言うだけ。指示は一切しなかったといいます。
スポーツといえば指導者に指示され必死で練習するしか知らなかった河合さんは「目からウロコで、自分の方が感動してしまった」といいます。最初はメンバーもそろわず、試合もできなかったのが、人数が増えて勝ち進めるようになり、全国制覇を目標に掲げるようになると、「ついつい、口が出るようになってしまった」と振り返ります。
試合になると観客席から「さっきのはパスやろ!」「走れ!」と娘のプレーにゲキを飛ばす。勝負所でディフェンスの足が止まったり、声を掛け合えてなかったりすると「他のチームはこうしてる」と比較してしまう。そんなとき、決まって娘はじっと黙り込んでいました。「それで余計に拍車がかかって、『全国制覇』なんて目標立てたくせにいつになったらやるねん!と腹が立って…。特に自分はバスケの素人。自分も未知の世界で不安で、娘なりに工夫をしようとしているのも気付かなかった」。プレー以外にも試合前に「水筒に水入れたか?」など細かに声を掛けていました。
決して娘に手を挙げたり、激しく反抗されたりした訳ではありませんが「5、6年生の頃は一番うっとうしがられた」とか。娘には一度だけ「(私が)やってるの、見ててくれた?」と言われ、妻からも「口を出し過ぎじゃない?」と言われたこともありましたが、それでも自らの「過干渉」に気付くことはなかったといいます。