ジリリリン…。麓の駅からの電話が鳴る。グルグルとレバーを回し、「はい、山頂駅です」と運転士が答える。安全確認をし、発車ベルを鳴らすと発車。回転式のブレーキを解除すると、ブザーとともに力行レバー(アクセルの役目)を回す。グオングオン…とワイヤを牽引するモーターの音が響く中、目と耳と経験を頼りに、ゴンドラの速さを調節していく。
源平合戦の「一ノ谷の戦い」の古戦場すぐ側にあり、神戸市街地と明石海峡大橋、淡路島が一望できる「須磨浦ロープウェイ」。1957(昭和32)年9月の開業以来60年以上運転を続けてきた、今では全国でも珍しくなった手動式のロープウェイが、老朽化のため、11月3日で引退することになりました。
ロープウェイは山陽電鉄が運営。須磨浦公園駅に隣接する山麓駅から山頂駅まで、高低差180メートルをゴンドラ2台(定員各30人、現在はコロナ対応のため15人に)が3分15秒で結び、2019年度は約13万8千人が利用しました。
現在、4人いる索道技術管理者(運転士)を束ねる峯田雅実さん(52)は8年前の夏、入社以来勤務していた電車の車両整備担当から、ロープウェイの運転士になりました。「客として乗ったこともありますし、弊社が運営していることも知っていましたが、まさか自分が運転士になるなんて…。本当に突然の辞令だったので驚きましたし、最初はすごく不安でした」と峯田さん。
運転士としての知識はもちろん、営業時間外に先輩と一緒に1カ月間空のゴンドラで訓練を重ねましたが「整備工場では空の電車も運転するのですが、電車でも車でも自分が乗っているからスピード感覚がつかめる。でもロープウェイは乗れないのにスピードを感じないといけない。それが難しかった。ようやくコツをつかんだと思っても、実際にお客が乗るとまた全然違うし、天候も…」。モーターの回転音などの微妙な変化と、目で見えるゴンドラの位置と計器の表示、そして経験が頼りだったといい、風が強いときや、繁忙期でお客が多く行き帰り2台のゴンドラの重さが大きく違うときなどは、特に緊張したそうです。
「特に最初の頃なんて、ブレーキ操作がうまくいかず到着時にガクっと揺れてしまったときには、もうお客様に申し訳なくて…顔が見れませんでしたね。逆に、すごくスムーズに到着できて、お客様が嬉しそうに降りてきてくれた時は、やっぱり嬉しかった」
手動式ロープウェイは、全国でも吉野山(奈良県)や雲仙(長崎県)などにわずかに残るのみ。須磨浦ロープウェイの運転室も、さながら“近代技術の博物館”といった雰囲気です。
運転台に取り付けられた銘板には「株式会社鹿島製作所 1957年9月」の文字が。「今のゼネコンの鹿島ですよ」と峯田さん。もちろん現在は製造していません。ロープウェイの定期検査では分解して調整しますが、部品はもうとっくに無いため、現物を工場に持ち込んで特注することも。「古い物ほど構造はシンプルで機械的なので丈夫だし、壊れにくい。でも、古い物ほど、モノが無いんです」。天井からは非常ブレーキの大きな輪が。「機械的にガチっと止めてしまうんで、これを使うとしばらく復旧できません。使ったことはないですが」。さらに、運転席の後ろはガラスに仕切られ、部品が剥き出しの機械室があります。
備品も「昭和感」が満載。まだ情報機器も発達していない時代から、山麓駅との連絡は、停電しても使えるよう、ハンドルをグルグル回すことで発電する「磁石電話」が使われ、現在でもしっかり現役です。博物館に展示されるレベルになった黒電話も当たり前のように鎮座し、無線にラジオ、気象台から地震情報を素早く受け取るための装置まで。レトロ感漂う椅子や木製ロッカーなども、昭和にトリップした気分です。
峯田さんは5年間運転士を勤め、その後は管理職として、指導の傍ら、時折運転もします。整備の仕事もあり、動くゴンドラの上部に載って点検したことも。「高所恐怖症なので、下は絶対見ないようにしていましたね(笑)」と振り返ります。「この仕事を始めて変わったこと?そうですね、毎日毎日、ずっと天気予報を見るようになりました。家族にもあきれられていますが、最近は天気が良いと思ってもいきなりゲリラ豪雨-とかもあるので、気が抜けません」とも。
夏には親子連れ向けに運転台の体験ツアー(本年度はコロナのため中止)もあり、にぎやかな声が響くことも。「この運転台も裏にある機械も、もう無くなってしまうと思うと、少し寂しいですね。でも、すぐに新しい機械の練習が始まりますから。今度は自動だから動かし方も対応も全く違うと思いますし、また“転職”した気分になるでしょうね。ただ、どんな機械であっても、私たちはお客様が安心してこの景色を楽しんで頂けるようにする、それだけですから」と話してくれました。
山陽電鉄によると、自動運転制御装置への切り替えのための運休は11月4日~来年3月中旬までの予定。運転台は、歴史的価値を考慮して須磨浦山上遊園の展望台での展示も検討しているものの、「解体してもかなり重量があり、上まで引き揚げる重機がない」(同社)といい、未定だそうです。
◇須磨浦ロープウェイ(山陽電車須磨浦公園駅下車すぐ)午前10時~午後5時