琉球犬ミックスのリノンちゃんはこれまでに2度、飛行機で海を渡りました。最初は保護された沖縄から新しい家族を見つけるために大阪へ。2度目は里親の転勤で日本からアメリカへ。今はカリフォルニア州・ウォールナットクリークという町に住んでいます。
リノンちゃんが大阪へやって来たのは2018年12月、生後3カ月のときでした。預かりボランティアの家で1週間暮らし、初めて参加した譲渡会で、のちに家族となる山田さん一家と出会います。
「リラ(当時のリノンちゃんの名前)はその日にトライアルが決まらなかったら、帰る家がないという大ピンチだったんです」
そう教えてくれたのは、大阪・高槻を拠点に活動する個人ボランティア『Ycdなんくる倶楽部』の田中奈緒子さん。リノンちゃんは最初の預かりの家を出なければならず、次の下宿先が決まっていなかったのです。
そこに現れた救世主が山田さんでした。「よかったら、うちで預かりますよ」。その一言が、リラちゃんの未来を決めました。
山田家は保護犬の一時預かりをした経験があります。もともとハムスターを飼っていたのですが、寿命が短く、お別れが来るたび子供たちが号泣。そんな姿を見て、お母さんは犬を飼うことを考え始めました。
「子供が大きくなって、犬のお世話をできる年齢になったというのもありました。覚悟を試す上で、まずは預かりボランティアからと思ったんです」(山田さん)
子供たちは最初に預かった老犬のお世話を積極的にしたと言います。そして、その犬が里親さんのもとへ巣立った後、譲渡会で出会ったのがリラちゃんでした。
最初は一時預かりのつもりでしたが、「私たちも今ならまだ体力があるし、若くてアクティブな子を飼えると思ったんです。そして何より、家族みんながリノンのことを気に入りました」(山田さん)と正式譲渡を決意。リラからリノンに改名したのは「レッドの毛並みがすごくキレイだったから」で、リノンは亜麻色を意味するギリシャ語だそうです。
山田家に予期せぬ出来事が起きたのは、リノンちゃんを迎えて間もなくのことでした。お父さんに海外赴任の話が持ち上がったのです。
「青天の霹靂でした。その可能性があると分かっていたら、リノンの正式譲渡はなかったかもしれません」(山田さん)
でも、もうリノンちゃんは家族になっています。手放すことは考えられませんでした。「家族そろって新天地へ!」そう決めて渡米準備を始めたのですが…。
「そりゃあもう大変でした(苦笑)。まず避妊手術をして、向こうで必要な狂犬病の抗体をつけるため、計画的に2回ワクチン接種をして。抗体を確認する血液検査も必要でした。ICチップも世界基準のものでないとダメですし、飛行機も旅客便で一緒に行こうとすると、航空会社が限られるんです」(山田さん)
昨年8月、渡米当日。伊丹空港のチェックインカウンターに預けられるとき、リノンちゃんはずっと鳴いていたそうです。羽田空港で乗り継ぎ、約9時間半のフライトでサンフランシスコへ。リノンちゃんのクレートはターンテーブルの近くにひっそりと置かれていました。
「顔を見たときはやっぱりホッとしましたね。死亡事故もあると聞いていたので。近づいてきた職員らしき人に検疫証明書を見せると、『ニッポンからね、OK!』とすぐに去っていきました。日本の信頼度は半端ないです(笑)」(山田さん)
渡米直後、リノンちゃんは家の外にいた野生のアライグマに反応したのか、夜中に急に吠えだして家族を驚かせたりしたそうですが、新しい環境にも慣れ、今では“へそ天”で寝ているとか。そして、コロナで自粛生活が始まるまでは、家族と一緒にいろいろな所へ出掛けていました。
「日本の公園のような感覚で無料で利用できるドッグパークがいくつもあって、リノンはアクティブな犬とよく追いかけっこをしています。ノーリードで散歩していい場所もありますし、コロナで行けなくなるまでは、景色が良くてのびのびと散歩できる所へ車で出掛けていました。リノンが一緒でなければ知らなかった世界がたくさんあります」(山田さん)
沖縄時代、飼い方の悪さを見かねた人が子犬を手放すよう飼い主を説得し、行政機関に保護されたというリノンちゃん。海外で暮らすことになるなんて、当時は誰も想像しませんでした。人間が感じる“言葉の壁”は犬にはありません。期間限定のアメリカ暮らしを山田家で一番堪能しているのは、実はリノンちゃんではないでしょうか。